ムシカ・ポエティカ

ムシカ・ポエティカ通信


ムシカ・ポエティカより皆様へ 初夏のご挨拶を
 梅雨明けの待たれる毎日ですが皆様いかがお過ごしでいらっしゃいますか。
 さて、これまで郵便でお届けしていた「季節の便り」ですが、このたび初めてホームページ上でのご挨拶と相成りました。世の中の動きから言えば十年以上遅れているのですが、わたくしたちにとっては画期的な出来事です。
Yumiko Tanno  実は昨年の11月8日の<レクイエムの集い>で舞台上演されたリストの「Via Crucis 十字架の道行」をVIDEO に納め、DVD として見直した際、映像というものの力に驚かされ、それまでためらっていたWeb site 実現へ向けて急に話が動き出したのでした。
 当然と言ってしまえばそれまでですが、紙と印刷文字の世界がこのPCの画面に変わる、ということは、情報の伝達も受容も根本的に以前とは異なる、ということです。この問題に関してはすでに議論も出尽くしているのかもしれませんが、わたくしは楽譜、書物、手紙の順で紙が大好きな人間ですので、「ページがめくれない」この画面を相手に途方に暮れる毎日です。
 またわたくしは、生の音楽を伝達し皆様と同時間を共有することが仕事ですので、今まで通り先ずは演奏、というスタンスに変わりはありませんが、この画面では、ここに相応しい情報を良く考え乍ら選択し、皆様にお届け出来たらと思っております。この道の先輩諸姉諸兄のご指導を仰ぎつつ少しずつ前進出来れば嬉しく存じます。
 というわけで今日は去る6月11日に行われた武田正雄<レクチュア・コンサート>の感想から。

 ●フランス歌曲・その系譜 6月11日 日曜日 午後2時30分 
  西新宿 白龍館 テノール 武田正雄  ピアノ 安田正昭

 地下鉄の丸ノ内線西新宿あるいは大江戸線西新宿五丁目から徒歩7~8分、道路から洒落た階段を降りると高層ビルのちょっとした広場があり、そこから白龍館に入ります。そこは中華レストランでした。
 天井からの大きな照明器具が二つ、デザインは一つずつ違うのですがそれぞれ凝っていて美しく、壁はガウディ調、中央の壁一杯に広がった半月形の飾り棚には沢山の珍しいお酒が置かれ、中央に大きなテーブル、脇に長いテーブル、飾り棚の反対側にはなんとBösendorfer のフル・コンサートピアノが! 
 すでに30~40人の愛好家たちがワイン、ビールなどを前にくつろいでいます。この頃はこんなサロンが増えているのですね。たっぷりとギャザーの入った大きなスリーヴの黒いブラウスに白いスカーフを巻いた武田氏登場。ベルリオーズの<夏の夜>より ヴィラネル が歌い出されました。この歌は[フランス藝術歌曲の誕生]というタイトルで紹介されましたがいつ聴いても人の心を惹く名曲です。特に幕開きにふさわしい。ヴィラネルが終わると、フランス歌曲はいつ頃どのように始まったのか、というレクチュアが始まりました。
 ドイツロマン派のドイツ・リートに比べてフランス歌曲が遅れて現れたわけは、革命前、文学が王侯貴族の手すさびであったためかいわゆる「一流の詩」というものが現れなかったという事情によるとのことです。ベルリオーズがユーゴーの系統を引くゴーティエの詩に作曲した歌曲集<夏の夜>に副題として「メロディ」の語を用いたのが、フランス歌曲を「メロディ」と言った最初だとのこと、この他に「ロマンス」という名も当てられています。
 続いて[初期フランス歌曲の性格~Romanceの形式・ロマンティシズム・異国趣味]というグループでグノーとフォーレです。グノーはイタリアで学んだことをフランス語で書くとどうなるか、ということを考えた人で、続く人々に大きな影響を与えました(ヘぇー、シュッツみたいな人ですね)。歌は ヴェネツィア。グノーは和音が精緻で、という解説でしたが、武田氏の歌唱は同音で伸ばし乍らもピアノの和音が変わると声も虹色に変わりなかなかの雰囲気、安田氏のピアノも澄んだ音で底まで見える湖水のような響きです。続けてフォーレの 愛の夢。武田氏のお話はご本人も「喋る方が歌うことより好きです」と冗談を言われるほどでしたが、簡潔で内容豊か、機智に富み、聴いていて全く退屈することがありません。その上、「どんな曲なんだろう」と好奇心がはち切れそうになると、ちゃんとその曲が生演奏で聴けるのですよ。
 このあと[フランキスト達~詩の新しい潮流の導入・・・高踏派・象徴派]としてフランク、ショーソン、デュパルクが。このグループ最後のデュパルク 旅への誘い でいよいよ象徴派ボードレールが登場、今でもモンパルナスにあるボードレールの墓は参詣者が絶えないそうですがこの音楽、思わず唸る出来映えです。しかしデュパルクは「前世」(1884)という曲を最後に50年間書けなかった、その間小さな村の町長をしていた、ショーソンと同じくブルジョワの出身で全く生活には困らなかった、とのこと。
 休憩後は[ポール・ヴェルレーヌ]と題され彼の詩によるフォーレ、ドビュッシー、ラヴェルという三巨匠の歌曲が紹介されました。フォーレより20歳若いドビュッシー、フォーレの弟子のラヴェル、一人ひとりの存在感とそれぞれの音楽の完成度はさすがでした。
 ここで一転、アーンという作曲家がパスティシュ、そう、模作の名人という話になりました。~~風、というのを書かせたら天下一品というわけです。彼の 秋の歌 はメランコリックでそのまま♪枯れ葉よ~~~ と続きそうでした。[大衆性への回帰]と題されたこのコーナーでもう一曲アーンの クロリスに が歌われましたが、ほとんどポピュラーと言って良い聴き易い音楽でした。結びは[同時代詩人への関心と歌曲の集大成?プーランク]というタイトルのもと、『月並みごと』より ホテル、パリへの旅、愛の小径 が歌われました。この中の「・・・私は働きたくない、煙草が吸いたいのだ」(アポリネール)と歌う ホテル は絶品、武田さんもアポリネールなのかプーランクなのか分からないほど音楽と一体化し、聴き手を「無為の楽しみ」へ・・・・。
 まことに贅沢なひととき、武田さんの長いパリ生活で培われた豊かな感情、趣味といったものが何気なく差し出され、わたくしたちも屈託なく当然のようにそれを受け取ったのです。ありがとう、良い午後でした。

 さて遡って5月11日 木曜日 午後7時 ムシカ・ポエティカの新しい合唱団<メンデルスゾーン・コーア>が始まりました。
 古典派とロマン派を橋渡しするような位置で、端正な基礎の上に麗らかで清澄な音楽を組み立てたメンデルスゾーンの合唱曲は、本来もっと高く評価されるべきものと思います。これから一緒にメンデルスゾーンの合唱曲を歌って行こう、ということで集まったメンバーは現在ソプラノ6名、アルト4名、テノール1名、バス3名です。
Mendelssohn-Chor  まずは身体をほぐし大きな深い息を入れ、ユニゾンで声を身体に迎え入れます。低い穏やかな声で身体中が振動し全体のピッチが一つになると澄んだ倍音が鳴り出し、和音で歌う準備が整います。
 最初に歌ったのは 四声の合唱リート「Abschied vom Walde さらば森よ」でしたが、今ではこれらの歌曲も「Die Nachtigal うぐいす」「Morgengebet 朝の祈り」「Lerchengesang ひばり」「Der wandernde Musikantさすらいの楽師」と段々に増えて行きました。またメンデルスゾーンが十代のころパレストリーナ様式で書いた「Tu es Petrus 汝はペトロ」も勉強しています。テキストは「あなたはペトロ。わたしはこの教会の上にわたしの教会を建てる。」とのイエスの言葉(マタイ16;18)で五声のポリフォニーにオーケストラのついた堂々たる作品です。そして一年後を目標に「エリア」を少しずつ。これも凄いですね。原始的な祈りの声が常にどこかに轟々と鳴っているような音楽です。メンデルスゾーンの表現はまことに信頼に足るもので、予想以上の高みにあることを実感しています。
 <メンデルスゾーン・コーア>の練習は毎週木曜日7時~9時半、五反田のクロイツ教会にて。まだお入りになれます。ご連絡下さい。
 yumiko@musicapoetica.jp
 長くなりますので今回はひとまずこれにて失礼致しますが、あまり日をおかずに次の「便り」をお約束致します。皆様お元気で! 

2006・6・16 Yumiko Tanno