バッハのカンタータの伝えるもの
第49番 <われは行きて汝をこがれ求む>
(初演1726・11・3 ライプツィヒ)
淡野弓子
1726年の10月はバッハがライプツィヒの聖トーマス教会のカントルとして仕事を始めて丸3年と5か月といったところですが、この時期、彼は続けてソロカンタータを作曲しています。169番(SDGでは2週間前に演奏)と今夕の49番は両方ともチェンバロ協奏曲が原曲です。バッハは自分自身と彼の息子たちが<コレギウム・ムジクム>でチェンバロを演奏出来るような作品を書くことが急務でした。バッハは以前に書いたヴァイオリン協奏曲のヴァイオリン・パートを鍵盤の右手に弾かせ、左手をさらに強化しパラフレーズしながら、鍵盤の独奏曲に作り直します。それまでは、ただ低音と必要な和音を弾くのみであった鍵盤奏者もこの時にはソリストとなるわけです。調べて行くと、もとの曲はヴァイオリン協奏曲以前にさらに違う楽器の曲であった可能性も出てくるとのこと、バッハはこのように一つの曲を次々と新しいアイディアとともにより魅力的な作品に変貌させ、多くの異なった楽器の奏者を楽しませ、聴き手をハッとさせるのです。
カンタータ49番のシンフォニアでは、チェンバロ協奏曲ホ長調の終楽章にオーボエ・ダモーレが加えられたものです。カンタータはソプラノとバスの2重唱のために書かれ、この日の福音書、マタイ22;1-14に由来しています。すなわち、王が王子の婚宴に客を招いたが、その招待を無視する者、ぞろぞろと集まっては来たが無礼な格好の者などがおり、そのようなものを王は怒って『暗闇にほうり出せ』と言った、というたとえをイエスが用い、「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」と語られた、という部分です。
またこのカンタータには<DIALOGUS=対話>というタイトルが記されており、イエスと信ずる者の魂との対話で台本(作者不詳)が出来ています。またこのテキストに選ばれた言葉、例えば「わたしの鳩」などは旧約聖書の「雅歌」を思わせます。
第一曲 シンフォニア
原曲は前述の通りチェンバロ協奏曲ホ長調BWV1053、その終楽章です。朗らかな、またなにかが弾けて跳ぶようなオルガン・コンチェルトは、王が王子のために準備した華やかな婚宴を彷佛とさせます。またバッハがこのような曲を礼拝音楽として演奏していたことに驚かされます。
第二曲 アリア
ホ長調で終わったコンチェルトを引き継いで、オルガンはさらに美しくも切な気なオブリガートを関係短調の嬰ハ短調で続けます。バス(イエス)が「わたしは行く、恋いこがれてお前を探す、わたしの鳩よ、美しさの極みなる花嫁よ」と歌い出します。バスの旋律もオルガンのパッセージも「探す」という言葉の意味、というよりは「探す」人の動きが良く現れています。また「Taube=鳩」という言葉は、2度にわたって6小節におよぶ音型が与えられていますが、最初は眼の届く範囲で首を回して探す感じ、2度目は遠くへ飛んでいってしまった鳩を追うさまがリアルに描かれています。バッハは音楽家であったと同時にまことに絵画的センスに秀でた人でもありました。
第三曲 レシタティーヴォ
弦楽を伴ったレシタティーヴォはイエスと信ずる者の魂とのデュエットです。ここでイエスは花婿、魂は花嫁という寓喩がまるでオペラの一場面のように楽しくもリアルに表現されています。イエスの「宴(うたげ)の用意は整っている。食卓も準備万端、わたしの花嫁だけがまだ現われない」に応えて「わたしのイエスがわたしのことを話していらっしゃる。おお、そのお声、なんという喜び!」と魂が語るとイエスは「わたしは行く、恋いこがれてお前を探す、わたしの鳩よ、美しさの極みなる花嫁よ」と第二曲ハ短調で歌った言葉を第一曲と同じ8分の3拍子の舞曲調で歌います。調性もホ長調、ようやく探し当てた喜びが迸ります。魂は「わたしの花婿よ、わたしはおん足下にひれ伏します」と答えこれをきっかけに先の8分の3拍子デュエットを歌います。この歌詞の最後は「Die
Hochzeitkleider anzutun=婚礼の衣装を纏おう(纏いましょう)」との言葉が共に歌われ、調性もホ長調からイ長調に衣替えします。
第四曲 アリア
ここにはピッコロ・チェロという珍しい楽器が使われています。バッハはこの楽器を1724年秋カンタータ180番で始めて採り入れたそうです。形は巨大なヴィオラ、腕に持って奏でるそうですが、今日はヴィオラで演奏致します。さらにピッコロ・チェロと共にオーボエ・ダモーレもオブリガートを奏でます。この二つの楽器の麗しい掛け合いのなかソプラノは「Ich
bin herrlich, ich bin schön=わたしは素晴らしい、わたしは奇麗」と歌います。さらに「Meinen Heiland zu
entzünden=わたしの救い主のお心を燃え上がらす」と続け、「schön=奇麗」には誇らし気な長い音、「entzünden=お心を燃え上がらす」には情熱的で華麗なコロラテューラが当てられています。このアリアでも、婚礼の服を身に纏う、ということが強調され、バッハ学者アルフレッド・デュルは「ボーンで膨らましたスカートを穿いた花嫁」との解説をしています。
第五曲 レシタティーヴォ
18小節からなる魂とイエスの対話レシタティーヴォです。美しい花嫁衣装を身に纏った花嫁も、その祖先は「堕落のアダム」であることが明らかにされます。イエスはイエスご自身の言葉を真に理解し、新しい服を身に纏った「魂」を永遠に見守り、生命の冠を授けることを約束されます。
第六曲 デュエット
終曲です。普通はシンプルな四声体のコラールが置かれているのはすでに皆様もご存知の通りですが、この終曲には婚宴の喜びと雰囲気がまだ引き継がれています。オルガンは最初のシンフォニアをさらに目的=解放に向かって進めます。即ち第一曲の優雅な8分の3拍子は2拍子の快活な舞曲風の音楽となって喜びの跳躍を繰り返すかのような音型を奏でます。バス(イエス)は、踊りの輪に何気なくひらりと滑り込んだかのように「お前をわたしはいつも愛している」と歌い出します。それはまるで重力を持たぬものが空を駆け巡るかのような旋律です。魂はどのように答えたのでしょう。彼女は名高い詩人フィリップ・ニコライ(1556-1608)の「げに麗しき暁の星」の第七節「Wie
bin ich doch so herrlich froh=なんと晴れ晴れした気持ちでしょう」の歌詞を2分音符に引き伸ばされたコラールの旋律で歌います。それまで一人であった信ずる者の魂は信ずる者たち全ての魂となります。それは「教会」である、ということです。コラールのテキストはさらに「Daß
mein Schatz ist das A und O, der Anfang und das Ende=わが宝はアルファにしてオメガ、初めにして終わりです」と続きます。イエスはコラールの歌詞が3行歌われる間、ずっと「お前をわたしはいつも愛している」をひたすらに繰り返します。このテキストはよく読んでみますと新約聖書のヨハネの黙示録3;20「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている」、また最後の部分、ヨハネの黙示録22;12-20「見よ、わたしはすぐに来る・・・・」から採られ、イエスと魂との対話として構成されていることが分かります。
16小節の間奏を経てバス(イエス)の言葉「それゆえにお前をわたしの許に引き入れるのだ」に移りますと、ソプラノ(信者の魂)のコラール旋律は「彼はわたしを賛美の群れに加え、天国に入れて下さいます。わたしは手を打ち鳴らします」と歌い、バスはさらに「・・・引き入れる、・・・・愛している」と繰り返します。
イエスの言葉が「Ich komme bald=わたしはすぐに来る」に変わるとコラールが「Amen」と答えます。さらにイエスの「Ich stehe=わたしは(戸の前に)立っている」に付けられた様々な音型、特に三度目のアクロバティックな跳躍音型は「立っている」実体がこの世を超越した存在であることを知らせるかのような動きです。コラールが最後の歌詞「Deiner
wart' ich mit Verlangen=渇望しつつあなたをお待ち致します」が終わってもまだバス(イエス)は、「お前をわたしはいつも愛している」との言葉をこのカンタータの終わりまで歌い続けます。
バッハは、天国の宴に招かれる者は徹頭徹尾イエスからの招待によるものであり、選ばれた者は新しい服に着替え、頭を垂れて賛美の群れ「教会」に入れて戴く、ということをかくの如く明解な音楽としました。
[2006・10・26 たんの・ゆみこ ミネアポリスにて]
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