ムシカ・ポエティカ

ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京 40年の軌跡(10)

会員 淡野弓子 

 先回は1992年3月18日(水)に開催されたコンサートの報告で終わりましたが、1992年はディストラーが亡くなって50年目という年でした。そこで今回はフーゴー・ディストラー(1908-1942)にまつわる話から始めたいと思います。
 1964年秋、留学したドイツ・ヴェストファーレン州立教会音楽院(現・ヘルフォルト教会音楽大学)の応接間の壁に掛かっていた肖像画が見覚えのない人だったので同級生に訊ねると、「Hugo Distler」との答え、この時私は初めて彼の名を知ったのです。日本人にとっては馴染みの薄いこの作曲家ですが、ドイツの教会音楽界で知らぬ人はいない存在でした。学校ではほとんど毎日彼の宗教作品を歌っていたように思います。
 ディストラーは1908年6月24日、父は工場主、母は女工の婚外子としてニュルンベルクに生まれました。その後母親が新しい夫とともにアメリカに渡ったため、祖父母の許で育てられ、1927年実科ギムナジウムを修了、ライプツィヒ音楽院へ進み、作曲をグラープナー、オルガンをラミンに師事しました。
 1931年1月1日よりディストラーはリュベックの聖ヤコビ教会のオルガニストに就任、そこに置かれていた15世紀の小オルガンに内的興奮を覚え、また歴史的オルガンに戻ろうといういわゆる「オルガン運動」を推進していた人々からも様々な示唆を受けました。
 聖ヤコビ教会の「夕べの音楽」で、毎年演奏されていたシュッツの《マタイ受難曲》に心を動かされた彼は、独自の構想によって《コラール受難曲》を書きます。1932年、ディストラーは24歳でした。シュッツに畏敬の念を抱いていた彼は、《コラール受難曲》ばかりでなく、シュッツの《宗教的合唱曲集Geistliche Chormusik 》(1648) に倣って同じタイトルのモテット集を出版し、さらに《12の宗教歌Zwölf geistliche Gesänge》(1657)に収められた「ドイツ語ミサ」に触発され、《ドイツ語コラールミサ曲Deutsche Choralmesse》(Op.3)を作曲しています。
 しかし、なんといってもディストラーの最高傑作は、メーリケの詩およそ40篇に作曲された《メーリケ合唱歌曲集 Mörike Chorliederbuch》(Op.19)でしょう。混声24曲、男声12曲、女声12曲のア・カペラ作品は1939年6月26、27日、「ドイツ合唱音楽祭」で作曲者自らの指揮により混声7曲、男声4曲、女声4曲が初演され、空前の成功をおさめます。この後彼はベルリン音楽大学に教授として招聘され、さらにベルリンのドーム・コーア(ベルリン大聖堂聖歌隊)をも指揮するようになり、外側から見れば順風満帆の人生でした。
 シュッツは30年戦争のさなかを必死でくぐりぬけた人でしたが、ディストラーの生活は第三帝国のなかにありました。1942年秋、彼は前任者の死を悼むため、シュッツの《音楽による葬送 Musikalische Exequien》の練習をベルリンのドーム・コーアと始めていましたが11月1日、ガス自殺を遂げます。原因はナチスからの圧迫、徴兵の不安、過労、神経衰弱が大方の見解ですが、このように誰もが想像するような理由ではなかったのではないでしょうか。深く永く沈潜し、死によってのみ解き放たれる負のエネルギーといったものがあるのではないでしょうか。
 ディストラーはメーリケの詩に潜む魔神的なパワーを驚くほど精確に音としています。例えばメーリケの許嫁で精神を病んだ娘の歌う《アグネス》に漂う鬼気、《炎の騎手》のユニゾンにはドイツを崩壊に追い込んだヒットラーの狂気が重なります。これらのエネルギーと共振する堪え難い日々、ディストラーは天から与えられた才能をコントロール仕損なったのではと思えてなりません。
 私がディストラーの音楽を大切に思う理由の最大のものは、彼が当初からシュッツを敬愛し、死の直前まで彼の音楽とともにあったという事実です。このような作曲家はドイツでも珍しい存在と言わねばなりません。ディストラーの音楽には根幹にシュッツがあり、その上にディストラー独自の和声が進行し、またその上にシュッツならではの霊性の輝きといったものが漂うという何層にも積みかさなった鉱石のような趣きがあります。しかし私たちがこの硬質の響きを実際の音とするには、さらに何年もの修練が必要でした。
 イースター・クワイヤは4月20日(月)19:00 石橋メモリアルホールにおいて、ヘンデルの《メサイヤ》を歌いました。
Sop:故・朝倉蒼生
Alt:辻 宥子
Tenor:佐々木正利
Br:故・宮原昭吾
新ヴィヴァルディ合奏団と管打楽器・鍵盤奏者
Vn I:内田輝(コンサートマスター)、宮内道子、徳井えま
Vn II:吉井雅子、宮川正雪、橋本洋
Va:竹内晴夫、渡部安見子
Bc:三宅進
Kb:大西雄二
Ob I:川村正明
ObII:庄司知史
Fg:堂阪清高
Trp I:織田準一
Trp II:野崎明宏、三澤慶
Timp:近藤健一(現・高顕)
Org:武久源造
合唱:イースター・クワイヤ
指揮:淡野弓子
 《メサイヤ》で驚かされるのはなんといってもジェネンズの書いた台本です。旧約聖書の預言書、詩編、哀歌、新約聖書のマタイ、ルカ、ヨハネ、パウロ書簡、黙示録からこれぞという言葉が選ばれ、縦横に配置され、様々な次元、色々な角度からキリストという核心に迫ろうという試みです。
 ヘンデルの音楽はこの言葉を実に分かり易く音楽に移し、その意味を良く伝えています。翻って同じテキストをシュッツが作曲するとどうなるか、ということにも興味が広がり、言葉と音楽の関係を考察するということの面白さは増す一方でした。

 5月16日(土) 14:00 東大教養学部900番教室において東京大学教養学部オルガン演奏会(第60回)が開催されました。
ディストラー《オルガン・パルティータ いざ来ませ、異邦人の救い主》(Op.8-1)
 演奏:オルガン独奏
ディストラー《メーリケ・コーアリーダーブーフ》(Op.19)より 序詞/夜明け前のひととき/それぞれの取り分/捨てられた娘/旅の歌/鼓手/庭師/狩人の歌/想う魂よ
 演奏:ア・カペラ合唱
シュッツ《ダビデの詩編曲集1619》(1619)「わが魂よ、主を誉めたたえよ」(詩編第103編によるコンツェルト)
 演奏:合唱とオルガン
オルガン:武久源造
合唱:ハインリヒ・シュッツ合唱団
指揮:淡野弓子
 プログラムはディストラーのオルガン作品と《メーリケ・コーアリーダーブーフ》から9曲、最後にシュッツの詩編103編という、ディストラー歿後50年を記念して選曲されたものであることが分かります。主催された教養学部の先生方は、ディストラーに強い関心を示され、メーリケの詩の対訳を作って下さいました。

 5月28日にはヴァリオ・ホールにおいて「武久源造チェンバロ・リサイタル」が開催され、ベーム、バッハ、L.クープラン、F.クープラン、ソレル、D.スカルラッティの作品が演奏されました。これは武久さんの第1回目のチェンバロのコンサートでした。

 シュッツ全作品連続演奏も第7回目を迎え、6月11日(木)19:00より、武蔵野市民文化会館小ホールにおいて、シュッツの処女作《イタリア風マドリガーレItalienische Madrigale》(1611、ヴェネツィア)(Op.1) 全19曲を歌いました。
ハインリヒ・シュッツ合唱団、ムシカ・ポエティカ声楽アンサンブル
リコーダー:守安功   指揮:淡野弓子
 シュッツが作曲を学ぶためにヴェネツィアのジョヴァンニ・ガブリエリを訪ねたのは1609年、彼は24歳でした。この《イタリア風マドリガーレ》が印刷に付されたのは1611年です。当時作曲を学ぶものはみな、マドリガルを作品集として残さねばならなかったので、シュッツのこの曲集もガブリエリ教室の卒業作品というわけでした。
 マドリガルのテキストは、極限的な言葉の遊戯を楽しんだマニエリスムの詩です。ここには隠喩や暗号がぎっしりと詰まっていて、この詩を解読しながら音に移し替えてゆくという技法が要求されるわけです。今の常識でいう「歌」とは違い、言葉そのものを音楽そのものに置き換える技なのです。
 言葉は意味を伝えるという役目以上に、各母音の持つ原初的な力、エネルギー、また万人が一つの意味を感じ取ることの出来る子音の波動といった面が重視されます。聴き手は意味を知る前に言葉の現す内容をともに生きることとなるのです。グアリーニ、マリーノといった、いわば言葉の綺想、迷宮にシュッツが敢然と挑んだ姿を眼のあたりにし、言葉と音楽の関係はまことに異なもの、只ならぬものとの思いを強くしました。
 当日はア・カペラのマドリガルを数曲歌っては守安さんのリコーダーソロでひと息、という構成で、なんとかこの不思議な言葉と音の森をくぐり抜けたのでした。難解な曲を19曲も1度にお聴き下さった皆様には、今も尊敬と感謝の気持ちで一杯です。
8月30日(日) 19:00 日本キリスト教団本郷教会  〈讃美と祈りの夕べ〉
主催 本郷教会
構成 ムシカ・ポエティカ
合唱:ハインリヒ・シュッツ合唱団
指揮:淡野弓子
ポジティーフ・オルガン/チェンバロ:武久源造
クーナウ《聖書ソナタ》ほかとの記録を見つけました。本郷教会の新会堂(現在の建物)が出来て1年目ことです。本郷教会の〈讃美と祈りの夕べ〉は、このおよそ6年後の1998年4月18日、「Soli Deo Gloria ただ神にのみ栄光」と正式に名付けられ、第1回目の演奏会が開催されました。その後教会主催の行事として定着し、つい最近の2013年12月1日(日)には第293回目の集いがバッハ・カンタータ140番とともに開かれました。本郷教会の〈讃美と祈りの夕べ Soli Deo Gloria〉については後ほど詳しくご報告したいと思っています。

 10月20日(火)19:00 石橋メモリアルホール〈BACH-ABEND バッハの夕べ〉が開かれました。この時ほど慌てたことはありません。もともとギーベル先生がバッハ・カンタータ199番《わが心、血の海に漂う》を歌って下さる、とのことで進めていた企画だったのですが、チラシの輪転機が回り出す数分前「ユミコ!わたしはアグネス。高いところから落ち、背中を打ってしまった。残念だが今年はどこへも行かれない。来年、健康になったら良いプログラムを早目に考えよう」との電話。コンサートを取り止めてアグネスを見舞いたい、と思いましたが、シュッツ合唱団のメンバーとムシカ・ポエティカのプレイヤーたちが、すぐに演奏出来る曲を次々に提示してくれ、あっという間に次のようなプログラムが組まれたのです。
《イエス、わが喜び》(BWV 227) 5声部のモテット
《トリオ・ソナタ ト長調》(BWV 1039)
《イエスはわたしの最初の言葉》(BWV 171) (カンタータ171番よりアリア)
《2台のチェンバロによるコンチェルト ハ長調》(BWV1061a)
《歌え、主に向かいて新しき歌を》(BWV 225) 二重合唱8声部のモテット
Vn:小野萬里
Vdg:福沢宏
Cem:故・小島芳子
Cem:武久源造
合唱:ハインリヒ・シュッツ合唱団
指揮/Sop:淡野弓子
 ギーベル先生の不在は悔やまれましたが、自分たちの力で短期間にバッハのプログラムでコンサートを成功させることが出来た喜びは大きく、段々に我々の意気も上がってきました。

 6月にシュッツの《イタリア風マドリガーレ》を歌い、シュッッツ経由の“イタリア”にかつてないほどのショックを受けた私は、シュッツが「鋭い感覚の人」と評したモンテヴェルディのマドリガーレを手にします。7月には器楽奏者を交えた試演を行い、瞬く間に彼の天才に圧倒されました。皆の気持ちは一気にモンテヴェルディに向かって燃え上がり〈Claudio★クラウディオ〉の名を冠した新しいアンサンブルが発足します。今思うと怖いものしらずの極めて無謀な挑戦でした。
 この頃、正確には1992年10月31日、実に359年4ヶ月と9日ぶりにガリレオの破門が解かれたというニュースに接しハッとしました。ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei 1564-1642)、クラウディオ・モンテヴェルディ(Claudio Monteverdi 1567- 1643)、2人はほぼ同じ時を生きていたのです。そしてここまでの作曲家はみな「天動説」のもとに音楽を創り演奏していたのです。ガリレオは1583年振り子時計を思いついたとのことですが、それまでの時の計測が蝋燭、砂、水、太陽などを用いたものであったことも、興味深い事実です。同じ1分でも振り子が60回行き来するのと砂時計で計った1分とでは時の中身が異なりますが、モンテヴェルディは厳格に刻まれた時間と、言葉の情感によって伸びたり縮んだりする情動のテンポを自在に使い分けているのです。
ムシカ・ポエティカの新しいアンサンブル〈Claudio〉発足記念公演
12月11日(金)19:00 東京カテドラル聖マリア大聖堂
Claudio Monteverdi《倫理的・宗教的な森 selva morale e spiritual》(1641) 全40曲中の10曲
I. 詩編110「わが主に賜わった主の御言葉」その1 [8声合唱・器楽2声・通奏低音]
II. ミサ [4声合唱 ア・カペラ]
III. 詩編112「いかに幸いなことか、主を畏れる人」その2 [5声合唱・通奏低音]
IV. めでたし、天の女王 [ソプラノ2重唱・通奏低音]
V. 詩編111「われ主に感謝せん」その3 フランス風   [ソプラノ独唱・器楽4声・通奏低音]
VI. おお盲いた人よ [7声合唱・器楽2声・通奏低音]
VII. わたしの嘆息を聞くあなた方 [5声合唱・器楽2声・通奏低音]
VIII. 人の生命は稲妻の如く [5声合唱・通奏低音]
IX. マニフィカト その2 [4声合唱 ア・カペラ]
X. 7声のグローリア [7声合唱・器楽2声・通奏低音]
指揮/Sop:淡野弓子
Sop:石塚瑠美子
M.Sop:羽鳥典子
Vn:小野萬里
Rec:守安功/淡野太郎
Vdg:福沢宏
Lut:中野哲也
Vne:西澤誠治
Cem:小島芳子
Org:武久源造/大石すみ子/柳澤一枝
クラウディオの合唱メンバーはシュッツ合唱団、イースター・クワイヤ総出演という感じです。これほど多くの出演者も珍しいことですので、ここに全員の名前を記しておきます。
S I:蘆野ゆり子、阿部昭子、阿部周子、金井知子、小役丸佐知子、阪本恭子、
   玉井千恵、故・毛利忍、柳澤一枝
S II:今村ゆかり、岩崎美帆、大石すみ子、金井まゆみ、金子美緒、柴田圭子、
   中村康子、平久江由理、湊岑子、山田由紀子
A I:赤羽根美穂子、秋山百合子、市瀬寿子、島崎伸子、田畑玲子、中江紗智子、
   根岸依子、本田純子、松本典子
A II:石井賢、石井佳子、石塚瑠美子、上野宏子、串田委子、桑田倭文子、斉藤嫩子、
   定家励子、塩谷和子、野間明子
T I/II:大森雄治、木田新一、駒井義明、笹井宏益、淡野太郎、辻康介、長山宏、
   細川裕介、依田卓
B I/II:井岡幹博、石塚正、小宮冨司雄、故・斉藤公治、阪本一郎、谷口正、
   富田英雄、春宮哲、渡辺功一
ディストラーにモンテヴェルディといういささかエキセントリックな年が終わろうとするころ、本郷教会のクリスマス・コンサートでシュッツの《クリスマスの物語》を演奏するとの予告を見つけました。

12月20日(日) 19:00 本郷教会  クリスマス・コンサート「讃美と祈りの夕べ」
聖書に聴く「星に導かれて」  本郷教会牧師 川崎嗣夫
シュッツ《クリスマスの物語》
Vn:小野萬里、小淵晶男
Org:武久源造 ほか
重唱/独唱/合唱:シュッツ合唱団、 クラウディオ
————本郷教会では毎年夏とクリスマスに教会コンサートを開くことになりました。との告知が添えられており、本郷教会が教会音楽の場としても徐々に成長して行く様子がうかがえます。

 1993年はシュッツ合唱団が誕生して25年目に当たる年でした。これを記念して5回のコンサートが計画されました。
ハインリヒ・シュッツ合唱団・創立25周年記念コンサート
I. シュッツ全作品連続演奏 [8] シュッツ《ルカ受難曲》
II. メンデルスゾーン《パウロ》
III. シュッツ全作品連続演奏 [9] Sagittarius (シュッツ・ソロアンサンブル) 発足公演
IV. 〈レクイエムの集い〉 モーツァルト《レクイエム》
V. シュッツ全作品連続演奏 [10] シュッツのモテット&ブクステフーデのオルガン曲

 この他〈淡野弓子 メゾ・ソプラノ リサイタル〉(2月)、〈Claudio〉第2回公演 (7月)が催されています。以下、日付け順に思い出して見ましょう。
2月5日(金)19:00 武蔵野市民文化会館 [ARTE] 小ホール
〈淡野弓子 メゾ・ソプラノ リサイタル〉
私にとっては初めてのリサイタルでした。
(実は、今年2013年2月4日(月)、私は小林道夫氏のピアノとともに長い間の夢であったドイツ歌曲のリサイタルを開いたのですが、初回から丁度20年目だったということに今気付きました。)
共演
Lut:中野哲也
Vdg:福沢宏
P:ウォン・ウィン・ツァン
P/Org:武久源造
《マリアの頌歌集》より「バラのなかのバラ」/ラングレ《ミサ》/モンテヴェルディ《アリアンナの嘆き》/クルト・ワイル《三文オペラ》よりSongs/武久源造、ウォン・ウィン・ツァンによる創作歌曲《薔薇は生きてる》。
 少女時代に愛読した山川弥千枝 『薔薇は生きてる』を書店で見付け、懐かしさのあまり買い求め、ウォンさん、武久さんに作曲をお願いして幾つかの詩と短歌を作曲して戴きました。ここに弥千枝の歌一首をご紹介し、詳しくは機会を改めたいと思います。

 美しいばらさわってみる。つやつやとつめたかった。ばらは生きてる。

3月24日(水) 19:00 東京カテドラル聖マリア大聖堂
I. シュッツ全作品連続演奏 [8] ☆シュッツ合唱団・創立25周年記念コンサート[I]
ハインリヒ・シュッツ《カンツィオーネス・サクレ1625》より「おお善き、優しき、慈しみ深きイエスよ」(SWV53-54)
メルヒオール・フランク《雅歌》
ハインリヒ・シュッツ《ルカ受難曲》
福音史家(T):佐々木正利
イエス(B):宮原昭吾
ペテロ(T):依田卓
ピラト(Br):辻康介
下女(S):淡野桃子
下僕 I(T):木田新一
下僕II(B):Brian Watson
強盗 I(A):細川裕介
強盗 II(T):淡野太郎
百人隊長(B):春宮哲
合唱:ハインリヒ・シュッツ合唱団
指揮:淡野弓子
プログラムにはシュッツの残した三つの受難曲———マタイ、ヨハネ、ルカに用いられた受難曲の伝統的な形式「コラール・パシオン」について解説されています。すなわち、
* コラールとはグレゴリオ聖歌風の朗唱を指し、この朗唱によって物語が進められる。
* 朗唱は福音史家、イエス、ピラトなど1人の人物が語るときに用いられ、弟子たち、ユダヤ人たちといった複数の人々が語る台詞は合唱で歌われる。
* テキストは聖書の受難記事(ルカによる福音書第22,23章) そのままである。
といったところですが、「受難曲」と聞けばバッハのマタイやヨハネを思い浮かべる方々がほとんどですので、20年たった今でもこのような説明は必要です。またシュッツとバッハを比較する際、両者の受難曲を並べて考察することは非常に有効であるばかりでなく、興味の尽きない話題を提供することでしょう。

7月3日(土)19:00 カザルス・ホール〈Claudio 第 2 回公演〉
Claudio Monteverdi《愛と戦いのマドリガルMadrigali guerrieri et amorosi》
I.  可愛い小さな小鳥が [7声合唱・器楽2声・通奏低音]
II. さあ、愛らしい羊飼いの少女たち [3声合唱 ア・カペラ]
III. いかないでおくれ、強情っぱりさん [3声合唱・ア・カペラ]
IV. いとも甘き夜鶯 [ソプラノ独唱・4声アンサンブル・通奏低音]
V.  いまや天も地も/ かくて唯一つの清き生命の泉のみが
  [6声合唱・器楽2声・通奏低音]
VI. わたしは燃える [8声合唱・器楽2声・通奏低音]
VII. 心を武装して [テノール2重唱・通奏低音]
VIII.わたしは燃え [ソプラノ2重唱・通奏低音]
IX. 他の者は歌え、軍神マルテを [6声合唱・器楽2声・通奏低音]
  2つの美しい眼が [バス独唱・6声アンサンブル/ 合唱・器楽2声・通奏低音]
X.  シンフォニア [器楽3声]
  他の者は歌え、愛の歌を [バス独唱・3声アンサンブル/ 合唱・器楽2声・通奏低音]
指揮/Sop:淡野弓子
M.Sop:羽鳥典子
B:宮原昭吾
Rec:守安功、淡野太郎
Vn:小野萬里、大田也寸子
Vdg:平尾雅子、D.ハッチャー、石川かおり、福沢宏
Vne:西澤誠治
Cem:故・小島芳子
 合唱メンバーにはすでに移動が見られ、発足記念のメンバーから 14名が欠場、新人が 7名加わり総勢47名となりました。
 モンテヴェルディの作品集第 8巻として1638年に出版された《戦いと愛のマドリガル》は通奏低音付きの二重唱や三重唱、5 声、6 声のマドリガル、器楽の助奏の付いたコンチェルト風のもの、踊りや芝居を伴った声楽曲などが〈戦い・・〉に20曲、「愛・・」に18曲収められています。
 ところでこの《戦いと愛のマドリガル》とは一体なにを意味しているのでしょうか。モンテヴェルディはこの曲集の序文で「・・・私たちの心の状態は主として怒り、平静、慎みの 3つが考えられる。音楽作品の中に平静と慎みはすでに表現されているが、怒り、興奮を現したものはまだ見たことがない。プラトンは彼の著書『Republica 国家』の中で『戦さにあって勇敢に戦う人の調べを残すように』と言っているのがそれである。(後略)」と語り、「・・私たちの心を深く動かすものは相反するもの・・」とも述べ、‘戦い’と‘愛’を対置するばかりでなく、‘戦い’のなかの積極性と防御性、‘愛’のなかにある勇気と節度を音楽化したのです。
 彼の音楽を演奏していると、言葉の振動が聴く者、歌う者の身体を直撃するので、恐ろしいまでの臨場感が漂い、感情がどんどん生々しいものに変わって行きます。人々の脳を目覚めさせ、興奮に導き、麻薬のような力を発揮するので、練習中何度も「こんな音楽を公開の席で演奏してよいのだろうか?」と自問したものです。

 前年は来日不能となったギーベル先生でしたが、「今大きな作品で歌っておきたいのは《パウロ》」と漏らされたひと言がきっかけとなりメンデルスゾーンの大作《パウロ》の上演が決まりました。
9月10日(金) 18:30 東京カテドラル聖マリア大聖堂
II. メンデルスゾーン《パウロ》☆シュッツ合唱団・創立25周年記念コンサート[II]
パウロ(Br):故・宮原昭吾
Sop.:アグネス・ギーベル
Alt:佐々木まり子
Tenor:佐々木正利、細川裕介
Br:淡野太郎
合唱:ハインリヒ・シュッツ合唱団 & Claudio
オーケストラ:シンフォニア・ムシカ・ポエティカ
指揮:淡野弓子
Vn I:高田あずみ(コンサートマスター)、竹島祐子、高田はるみ、大田也寸子
Vn II:小野萬里、高岡真樹、大谷美佐子、三品祥子
Va:李善銘、森田芳子
Vc:諸岡範澄、中沢(現・西澤)央子
KB:西澤誠治、櫻井茂
Fl:故・田中潤一、菊池香苗
Ob:川村正明、庄司知史
Cl:赤坂達三、万行千秋
Fg:大沢昌生、井上俊次
C.Fg:越康寿
Tuba:荻野晋
Hrn:磯部保彦、田場英子、岡村陽、望月正樹
Trp:津堅直弘、杉本正毅
Trb:和田美亀雄、小倉史生、松原正幸
Timp:近藤健一(現・高顕)
Org:小林英之
 メンデルスゾーンのモテットは幾つか知ってはいたものの、このような大掛かりな作品に取り組むのは初めてのことでした。しかし枠組みや内容はバッハ、ヘンデルの音楽の延長線上にあり、難なく身体に溶け込むメンデルスゾーンの旋律やハーモニーは、モンテヴェルディ、シュッツ、バッハ、ヘンデル、はたまたディストラーといった強烈な音をくぐり抜けて来た我々にとって、それはまさにオアシスでした。
 メンデルスゾーンは1833年デュッセルドルフ市の音楽監督となり、劇場での公演に加えて教会音楽の演奏にも力を注ぎました。ここで彼が取り上げたのはパレストリーナ、ラッソに始まり、ヘンデルの《エジプトのイスラエル人》、《メサイヤ》、《アレクサンダーの饗宴》などなど、バッハ《マタイ受難曲》の蘇演のみならずヘンデルの復興にも寄与しています。このような地道な努力を下地とし、1836年《パウロ》が初演されたのでした。
 このような事実を知って、改めて《パウロ》を良く観察すると、それはバッハの受難曲とヘンデルのオラトリオの統合であるというような簡単なものではなく、ルネサンス期の作曲技法からもそのエッセンスを学び取っているように思われました。また、巧みな和声進行に驚かされると同時に、それを表現する楽器の組み合わせ方から彼の極めて優れた音色感覚を知らされ、一般に語られるメンデルスゾーン像とは全く異なる彼の姿、心の深みに息づく彼の信仰を垣間見たのです。
 この日の演奏は、アグネス・ギーベルを始め、故・宮原昭吾、佐々木正利、佐々木まり子といった実力派の名演、オーケストラにも各セクションに代表的な名手が力を貸して下さり、成功に導かれました。ライヴ録音がコジマ録音からリリースされ、日本で初めての《パウロ》のCDとして、いまだに販売が続いているのは大きな喜びのひとつです。
 シュッツ全作品連続演奏もいよいよソロアンサンブルの演奏を考えねばならぬ時に入りました。《シンフォニエ・サクレ》などの華麗な作品を精鋭メンバーでとの考えから、「サギタリウス」(シュッツのラテン名)という名のソロアンサンブルを組織し、第1回の演奏会が開催されました。
10月5日(火) 19:00 カザルス・ホール
III. シュッツ全作品連続演奏 [9]
Sagittarius (シュッツ・ソロアンサンブル)発足公演 ☆シュッツ合唱団・創立25周年記念コンサート[III]
Sop:徳永ふさ子、酒井美津子
M.Sop/指揮:淡野弓子
T:佐々木正利
B:宮原昭吾
Rec:守安功
Trb:萩谷克己、利根川勝、巻島俊明、福神浩貢
Vn:小野萬里、斎藤瑠奈
Vdg:福沢宏
Vne:西澤誠治
Chit:竹内太郎
Cem:故・小島芳子
Org/P:武久源造
I.  善きイエスよ (SWV 313)
II. 重荷を負う者、われに来たれ (SWV 261)
III. 主にあってわたしの心は喜び (SWV 258)
IV. 我が子、アプサロン (SWV 269)
V.  音楽による葬送 Musikalische Exequien (SWV279-281)
VI. おお甘く、親しく、寛大なるイエスよ (SWV 285)
VII. 主にあって喜びをなせ (SWV 311)
VIII. 主よ、心からあなたをお慕いします (SWV 387)
IX. どのような時にも私は主をたたえ (SWV 306)
X.  コラール:いざや、ともに
最後のコラールは、一つ前にギーベル先生が歌われたシュッツの „Ich will den Herren loben alle Zeit”の「どのような時にもわたしは・・」に続いて「わたしたちも・・」との願いを込めて会場の皆様とともに賛美歌「いざやともに」を日本語で歌ったのでした。これはギーベル先生からの提案でした。
恒例の〈レクイエムの集い〉です。
11月4日(木) 19:00 石橋メモリアルホール  〈レクイエムの集い〉
IV. モーツアルト《レクイエム》☆シュッツ合唱団・創立25周年記念コンサート [IV]
モーツアルト《幻想曲二短調》(K.397)
      《ピアノ四重奏曲ト短調》(K.478)
F.Piano:故・小島芳子
Vn:小野萬里
Va:森田芳子
Vc:中沢(現・西澤)央子
モーツァルト《レクイエム》(K.626、1992年 Duncan DRUCE 版日本初演)
Sop:故・朝倉蒼生
Alt:羽鳥典子
Tenor:佐々木正利
Br:鎌田直純
合唱:ハインリヒ・シュッツ合唱団
オーケストラ:シンフォニア・ムシカ・ポエティカ(ピリオド楽器)
Vn I:小野萬里(コンサートマスター)、高田はるみ、大田也寸子
Vn II:竹島祐子、永井寿子、三品祥子
Va:李善銘、渡部安見子
Vc:畑野誠司、中沢(現・西澤)央子
Vne:櫻井茂
B.Hr:坂本徹、上村千春
Fg:堂阪清高、川村正明
Trba:津堅直弘、栃本浩規
Trb:萩谷克己、利根川勝、福神浩貢
Timp:近藤健一(現・高顕)
Org:河野和雄
指揮:淡野弓子
 モーツアルトの《レクイエム》、未完に終わったこの作品を巡って、今も多くの作曲家や研究者が努力を重ねていますが、この日は1992年、イギリスのダンカン・ドゥルースによって校訂、完全化された新版でした。ドゥルース氏はイギリスのシュッツ・コンソートのヴァイオリン奏者で、これまでのジュースマイヤー版に敬意を表したうえで取りかかったと表明しています。モーツアルトが 8小節書いて中断し、9小節目からの展開は誰にも分からない〈Lacrimosa〉は、ジュースマイヤーがどういうわけか 9小節目から最初の詩節‘Lacrimosa〜〜〜’を繰り返したためにどことなく座りのわるくなった曲を、ドゥルースは決然と次の詩節‘Huic ergo’に突入しています。この部分の 2小節間のメロディはアイブラーのスケッチにある通りのものですが、これで〈Lacrimosa〉の言葉と音楽の関係がはっきりしたわけです。私もモーツアルトがこのレクイエムに残した言葉と音楽の関係を辿ってみた結果、彼が 7−8小節の「judicandus homo reus」の後、筆を投げてしまった理由が分かったのですが、これは私個人の推論に過ぎませんのでここでは触れません。またドゥルースは、〈Lacrimosa〉の最後の部分でジュースマイヤーが 2小節しか残さなかった「Amen」の部分をモーツアルトのスケッチをもとに 127小節に及ぶフーガ(因みにモンダー版の「Amen」フーガは 79小節)を書いています。この版での演奏はすでにノーリントン指揮、ロンドン・シュッツ・クワイヤによって CDが出され評判となっていました。日本ではこのコンサートが初演ということになり、ドゥルース氏から次のようなメッセージを戴きました。
 「東京のH.シュッツ合唱団が私の版で演奏なさると聞き喜んでいます。皆様がこの版で歌い奏することに価値を見いだして下さることを願い、公演の成功を願って心からの挨拶を送ります。」
 25周年記念演奏会も最終回を迎え、25年を振り返って印象深かったコンサートを思い出しながら、私たちが1985年の〈国際ハインリヒ・シュッツ祭〉においてベルリンのシャウシュピールハウス、ライプツィヒのゲヴァントハウスで取り上げた作品を演奏しました。
11月14日(日) 15:30 石橋メモリアルホール   シュッツ全作品連続演奏 [10]
V. シュッツのモテット&ブクステフーデのオルガン曲 ☆シュッツ合唱団・創立25周年記念コンサート [V]
・シュッツ:《宗教合唱曲集1648》(1648) より
      神の救いの御恵みが顕われた (SWV 371)
      自分のみで生きる者はない (SWV 374)
      言葉は肉体となって (SWV 385)
・ブクステフーデ:《プレルディウム ト短調》
・シュッツ:私はまことのぶどうの木 (SWV 389)
      多くの人が西から東から来て(SWV 375)
      あらかじめ雑草を集め (SWV 376)
・ブクステフーデ:《コラールファンタジー「げに麗しき暁の星」》
・シュッツ:主よ あなたに寄り頼みます (SWV 377)
      涙とともに種蒔く者は (SWV 378)
      天は神の栄光を語り (SWV 386)
・ブクステフーデ:《コラールファンタジー「テ デウム ラウダムス」》
・シュッツ:神はその独り子を賜うほどに (SWV 380)
      おお愛する主なる神よ (SWV 381)
      それはまことのまこと (SWV 388)
オルガン:武久源造
合唱:ハインリヒ・シュッツ合唱団
指揮:淡野弓子
 このプログラムは、シュッツが言葉を音楽の表現に移し替え、声によって聴き手を説得していった技法と、ブクステフーデが幻想様式を用いて、劇場的なパフォーマンスをオルガンによって自由自在に演じる技とが変わるがわる登場するという構成でした。さらにブクステフーデのプレルディウムやテ・デウムでは冒頭の凝縮された数秒と、その後の長く引き伸ばされ穏やかに語りかける数分が同じ重さを持って迫って来ます。この時間の密度という不思議な現象を始め、音楽にまつわる様々な時間の姿は、演奏に携わる者にとって興味の尽きないテーマであると同時に、終わりのない課題であることを知らされています。
 12月19日(日) 19:00 開演の本郷教会クリスマス・コンサートでシュッツ《12の宗教歌》とモンテヴェルディ《倫理的・宗教的な森》よりモテットを歌い、狂躁怒濤の1993年もなんとか幕を閉じました。(続く)