ムシカ・ポエティカ

ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京 40年の軌跡(11)

会員 淡野弓子 

 今回は1994年の〈受難楽の夕べ〉から始めたいと思います。1994年といえば今から20年前、今年発足30周年を迎えた我々のグループ「ムシカ・ポエティカ」が10年目に入った年でした。

3月25日(金)午後7時 東京カテドラル聖マリア大聖堂
 〈受難楽の夕べ〉シュッツ全作品連続演奏[XI]
H.シュッツ《詩編116 Das ist mir lieb わたしは主を愛する》(SWV 51)
H.シュッツ《最後の晩餐》(SWV 495)
R.マウエルスベルガー《ルカ受難曲》[日本初演]

 ルドルフ・マウエルスベルガー(Rudolf Mauersberger 1889-1971)については、すでに様々な機会にお伝えしてきたように思いますが、この「軌跡」で取り上げるのは初めてのことと思います。
ドレスデンが大空襲に見舞われたのは1945年2月13日、すべてが灰燼に帰した都で、クロイツ教会聖十字架合唱団の少年たちに歌う曲を与えねば、との思いからR.マウエルスベルガーは1947年1月、受難曲の作曲を始め、僅か12日間で書き上げたのが《ルカ受難曲》でした。初演は1947年4月1日、カトリックのHerz-Jesu-Kircheで行われ、人々に強烈な印象を与えます。またこの作品は数ある受難曲の一つという以上の大きな意味を含んでいました。すなわち、敗戦で疲弊した国民と教会の礼拝生活を活気づけ、新しい礼拝形式を生み出して行こうとの強い意志に貫かれているのです。
ルター訳聖書第22章39節から23章56節までがほぼ全部作曲されており、福音史家もイエスも全ての箇所がアンサンブルと合唱で歌われ、勿論ア・カペラです。このような編成は、当時からおよそ300年前の30年戦争たけなわの頃、シュッツが少人数で演奏出来る《小宗教コンチェルト集 Kleine geistliche Konzerte 》(1636/1639)などを作曲していたことを思い出させます。恐らくソロの歌える成人男声歌手がいなかったのでしょう。
導入と終結、そして物語の段落にはコラールが置かれています。テキストとメロディは1883年に出版された《ザクセン讃美歌集》からのもので、バッハの用いたコラール歌詞とは視点や意味内容が大きく異なり、1947年初頭のドレスデンの状況が色濃く反映されています。表現は細部に至るまで描写が繊細で、終戦時の苦悩がひたひたと迫り、身につまされ、毎日空腹だった少女時代を思い出すほどでした。この作品に巡り会ったいきさつはこの稿でもう1度お話致します。

4週間後には「クラウディオ」の第3回公演が開催されました。
4月22日(金)午後7時 東京カテドラル聖マリア大聖堂 〈Claudio〉第3回公演
C.モンテヴェルディ《VESPRO 聖母マリアの夕べの祈り》

リコーダー:守安 功・淡野太郎
コルネット/リコーダー:濱田芳通、及川 茂、細川大介
サックバット:萩谷克己、利根川勝、巻島俊明
ヴァイオリン:小野萬里、森田芳子、竹島祐子
ヴィオラ:李 善銘、Stephan Sieben
リュート/ヴィオラ・ダ・ガンバ:中野哲也
ヴィオラ・ダ・ガンバ:福沢宏
ドゥルツィアン:川村正明
キタローネ:竹内太郎
ヴィオローネ:西澤誠治
チェンバロ:故 小島芳子
ポジティーフ・オルガン:高橋 全

声楽アンサンブル
ソプラノÎ :柳澤一枝、小役丸佐知子
ソプラノII:淡野桃子、大石すみ子
アルト:石塚瑠美子、羽鳥典子
アルト/テノール:細川裕介
テノール:望月寛之、淡野太郎、依田卓
バリトン:辻 康介

合唱
アンサンブル・クラウディオ [SI:11/ SII:10/ A:10/ TI:4/ TII:4/ B:6]
国分寺チェンバークワイア [SI:6/ SII:7/ A:11/ TI:3/ TII:3/ B:6]
(合唱指揮:市瀬寿子)

 市瀬寿子さんは今は亡き岡本敏明先生の愛弟子の一人で、オーソドックスな合唱指導法の訓練を受け、1991年、ルネサンス、バロック期の合唱曲をレパートリーの中心に据えた「国分寺チェンバークワイア」を組織、今も大活躍の毎日を送っている指揮者です。シュッツ合唱団でも歌っておられたので、モンテヴェルディをアンサンブル・クラウディオと合同でという話になりました。実は今年(2014年)4月2日、久しぶりにチェンバークワイアともどもバッハ《マタイ受難曲》を演奏したのですが、その時にもこの《ヴェスプロ》の思い出話で賑わったのでした。あっという間の20年でした。偶々の巡り合わせなのでしょうが、今回の「軌跡」を書き出した途端、若かりし「国分寺チェンバークワイア」が登場したので驚いています。

 さて、H.J.モーザーの大著『ハインリヒ・シュッツ———生涯と作品』に「…モンテヴェルディ———錬金術師」との記述があります。またC.G.ユングは『心理学と錬金術I』において、「…科学はこれまで錬金術の化学的側面にしか注意を払わなかった」と述べ、自分はその宗教的側面を提示したいと言っています。「錬金術はキリスト教の地下水である」と言うユングは、男性的父性世界が顕在意識になってくる時点で母性的原初意識は無意識に沈み、顕在意識の補償作用として働いた、と洞察しています。モンテヴェルディの《聖母マリアの夕べの祈り》も作曲技法については研究が進んでいますが、宗教的心理的側面とこの曲の持つ本来の目的についてはほとんど注意が払われていません。
テキストから浮かび上がる隠された秘密はまことに興味深いものがありました。
・人間世界に神の子を授けたいという主の意志(詩編110:第2曲)
・黒いけれど美しい———卑賤なものが実は美しい(第3曲)
・弱いものを塵のなかから起こし、乏しいものを芥のなかから高く上げ、子のない女に母の喜びを与える
———イエス降誕の預言(第4曲)
・2人の天使が歌い交わす場面に3人目の天使が登場し「証しするのは三である」「三は一である」と歌う。(第7曲)
・「御言葉は速やかに走り、羊の毛のような雪を降らせ、灰のような霜をまき散らし、氷塊をパン屑のように投げられる」(詩編147:第10曲)

このように「白い」ものばかり列挙された詩行を見ると、第3曲の「黒いけれど美しい」、第9曲の「曙の光の如く上り赤く輝く」が思い出され、錬金術の言う卑賤なものが金となる過程、「黒→赤→白」が見て取れ、いよいよ「神の子」の出現が予感されるのです。
無論こんなことに興味を抱いても、それが直接演奏技術に反映するわけではないのですが、テキストに隠された隠喩に触れることによって心身が活性化し、練習や演奏への意欲をさらに掻き立てられたのは事実です。

6月24日(金) 午後7時 武蔵野市民文化会館[ARTE]小ホール
淡野弓子メゾソプラノ リサイタル
ピアノ/オルガン:武久源造
ピアノ:黄 永燦(Wong Wing Tsan)

R.シューマン《リーダークライス Op.39》
新作・語りと歌のための幻想即興曲《小町の芍薬》
(Text:岡本かの子、 Sound Inspiration《MOON TALK》黄 永燦)
構成 武久源造/黄 永燦/淡野弓子

それまで主としてヨーロッパ系の言語で歌ってきた私は、一つ一つの言葉がその示す意味内容にピッタリの音型や和音に変えられ、音楽を聴けば意が通ずる、ということを体験すればするほど、これが日本語であったらどのような歌になるのかということを日々考えるようになりました。
すでに美しい日本歌曲は多数作曲され、伝統芸術に至っては無数の日本語の表現と発声が存在しています。私はここで詩文ではなく散文を音楽化してみたいと考えました。折も折り私はウォン(Wong Wing Tsan)さんのCD《MOON TALK》を聴き、この音楽とともに文章を読む、というアイディアが浮かんだのです。
《MOON TALK》はピアノによるイムプロヴィゼイションで、聴く人の現在意識と潜在意識が代わる代わる入れ替わり、半ば夢を見ているような状態に誘い込んでリラックスさせる力を持った音楽です。このような音楽には過現未の交錯するような物語がよいと思い、岡本かの子の『小町の芍薬』に決めました。
詳しい内容は略しますが、この試みに発した日本語への挑戦は20年たった今、ある種の結実を迎えようとしており、不思議な思いに包まれています。

7月16日(土)午後6時  沼津市民文化センター大ホール
沼津合唱団演奏会〜新しい響きを求めて
共演:ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京
指揮:淡野弓子

ラッソ、パレストリーナのモテットほか  沼津合唱団
シュッツのモテット           シュッツ合唱団
ラッソ《シビュラの預言》全曲      沼津 & シュッツ合唱団
柴田南雄《宇宙について》        沼津 & シュッツ合唱団
沼津合唱団は1993年まで故 中村義光氏の真摯かつ熱情的な指揮のもとに40年の歴史を刻んだ合唱団でしたが、中村先生は1990年に病に伏され、その後先生の御承諾のもとに私が指導に伺うようになりました。1993年9月、中村先生が逝かれ、私は後任として1994年1月より沼津合唱団指揮者として働くことになったのです。
沼津合唱団との初公演にラッソの《シビュラの預言》と柴田南雄の《宇宙について》を取り上げたという無謀な突進を今更驚いても遅いのですが、プログラムには「声の冒険●心の飛翔」というタイトルが踊っています。
沼津合唱団59名、シュッツ合唱団36名、計95名という人数が記録されていますが、実際の本番は91名だったようです。この公演では全員が、前面が白、背面は各自の選択に任された自由な色、模様という貫頭衣風の衣装を作りました。隠れキリシタンのオラッシャから少しずつ人が動き始めると背面の模様が見え隠れし、諸民族の礼拝歌に移り、色々なグループがそれぞれ違う歌を同時に歌い出すのです。この頃には客席に背中を向けている人、足踏みをする者など入り乱れ、「初めと終わりはかくて結ばれ、一つの円となる」というコプト教会の讃美歌に付けられた歌詞とともに全員がステージ一杯一つの円となりました。続く華厳経が始まると一人また一人とステージから客席に降り、華厳経が終わる頃には全員が客席に散らばって最後の巡礼歌「しばた山」を歌いました。「しばた山」の先唱を務めた沼図合唱団の山下洋一さんは、声といい、風格といい役にぴったりで、聴き手の方は勿論、共演したシュッツ合唱団のメンバーも一様に感激してしまいました。山下さんはこの日の会場、沼津市民文化センターの館長さんでいらしたそうです。
《宇宙について》は実に気持ちの良いエネルギーに溢れる作品ですが、不思議なからくりも張り巡らされており、いわゆる常識的な合唱作品ではありません。練習の最中に「これで失礼します」と言ってそのまま退団する人も居たほどですが、公演はいつでもどこでも大成功でした。2014年の今年、9月15日には声楽発声学会主催のコンサートでも演奏が予定されています。

この年の9月、旧西独の古都ゾーストで開催される国際ハインリヒ・シュッツ祭に参加することが決まりそれに先立って次のような演奏会が開かれました。
9月7日(水) 午後7時 東京カテドラル聖マリア大聖堂
第33回 国際ハインリヒ・シュッツ祭 参加記念 [国際交流基金助成事業]
ハインリヒ・シュッツ合唱団特別演奏会   指揮: 淡野弓子

ハインリヒ・シュッツ(1585-1672)《宗教合唱曲集》(1648)より
 〈言葉は肉体となり〉〈それは確かなまこと〉
クリストフ・ベルンハルト(1628-1692)ダニエルに下った終末の預言
 《その時お前の民は救われるであろう》
武久源造(1957-  )カンタータ《天地創造》
ルドルフ・マウエルスベルガー(1889-1971)《ルカ受難曲》

1985年以来9年ぶりのドイツ公演とあって、かなり入念な準備をしました。シュッツ祭のテーマは [シュッツとその弟子]です。シュッツの弟子ということで、先ずはシュッツの作曲教程を書物に表し、宮廷楽長も務めたクリストフ・ベルンハルト(Christoph Bernhard)のモテット《Zur selbigen Zeit wird dein Volk erlöset その時お前の民は救われるであろう》を取り上げました。そして時も所も遠く離れているとはいえ、シュッツ作品とその演奏体験から多大な影響を受けた武久源造の新作カンタータ《天地創造》を歌うことが決まりました。また国際交流基金助成事業として飛行機代の援助が受けられたことも有り難いことでした。

ドイツ演奏旅行は以下のような流れで進み、無事終了致しました。ごらんのようにこの旅行にはアグネス・ギーベル先生が同行して下さり、シュッツの《クライネ・ガイストリッヒェ・コンツェルテ》から〈おお甘き、親しきイエスよ〉や《ムジカーリッシェ・エクセクヴィエン》のソロパートなどを歌って下さいました。
9月17日(土) ベルリン:大聖堂(Dom)
ソプラノ:アグネス・ギーベル
オルガン:武久源造
合唱:H・シュッツ合唱団・東京
指揮: 淡野弓子
シュッツ《詩編116》、ベルンハルト《その時お前の民は…》、
シュッツ〈おお甘き親しき〉、武久源造《天地創造》、
シュッツ《ガイストリッヒェ・コーアムジーク》(1648)より〈それは確かなまこと〉

9月19日(月) ドレスデン: クロイツキルヒェ
ソプラノ:アグネス・ギーベル/徳永ふさ子
キタローネ:竹内太郎
オルガン:武久源造
合唱:H・シュッツ合唱団・東京
指揮: 淡野弓子
シュッツ《ムジカーリッシェ・エクセクヴィエン》、シュッツ〈おお甘き親しき〉、
R.マウエルスベルガー《ルカ受難曲》

9月20日(火) カッセル:キルヒディトモルト教会(ソリストほか同上)
シュッツ〈言葉は肉体となり〉
武久源造《天地創造》
シュッツ〈おお甘き親しき〉〈主によって喜びをなせ〉
R.マウエルスベルガー《ルカ受難曲》

9月 21日(水) エンガー:シュティフト教会(ソリストほか同上)
シュッツ《ムジカーリッシェ・エクセクヴィエン》、シュッツ〈おお甘き親しき〉
武久源造《天地創造》

9月23日(金) ゾースト:ヴィーゼン教会(St.Marien zur Wiese)
〈第33回国際ハインリヒ・シュッツ祭〉
ソプラノ:アグネス・ギーベル
キタローネ:竹内太郎
オルガン:武久源造
シュッツ《詩編116》、ベルンハルト《その時お前の民は…》、
シュッツ〈おお甘き親しき〉、武久源造《天地創造》、
シュッツ《ガイストリッヒェ・コーアムジーク》(1648)より〈それは確かなまこと〉

さて前述のルドルフ・マウエルスベルガーは、ドレスデンのクロイツ・キルヒェ(聖十字架教会)のカントールとしてシュッツ以来の伝統を直接その身に背負った人でした。《ルカ受難曲》の書かれた状況は既にお話しましたが、この楽譜は1985年第1回ドイツ演奏旅行の折、ドレスデンの音楽学者マティアス・ヘルマン氏が下さった何曲かの珍しい楽譜の1冊だったのです。この曲は当時ドイツでも滅多に演奏されることがなかったらしく、カッセルのキルヒディトモルト教会のカントールが是非聴きたいと言われ、9月といえば受難節ではありませんでしたが、ドイツで演奏することになり、この年の3月に日本初演したこの作品をもう1度歌いました。

《ルカ受難曲》の譜面を出版した旧東ベルリンの出版社は統合後に消滅し、楽譜の購入に悩んでいたのでしたが、長年お世話になっているミュージック・サプライの天崎浩二さんが探し回って下さり、ついに40冊の譜面が届いた時には、皆が声を上げて楽譜に駆け寄ったのを覚えています。その後もその前も天崎さんは入手困難な楽譜をどこからか見つけ出して下さり、どれほど助かったことでしょう。

ことあるごとに話題となるこの作品には単なる音楽以上のなにか強い力が働いているのでしょうか。ごく最近では荒川恒子先生の遭遇されたエピソードも含め、回を改めてお話したいと思います。

武久源造《天地創造》はルター訳のドイツ語聖書創世記第1章第1節から第2章第3節をテキストとし、神が6日かかって天地を創造し、7日目に休まれた、までが作曲されたものです。ドイツでは大反響を呼び、1994年9月22日付ヘッセン・ニーダーザクセン・アルゲマイネ・「ツァイトゥング紙」には「音と言葉が一つとなった合唱の響き」との見出しで次のような批評が掲載されました。

    「音楽とは何か?」これはカッセル・キルヒディトモルト教会で東京の
   ハインリヒ・シュッツ合唱団が演奏した際、《天地創造》の作曲者で盲目
   の武久源造が提示した問いである。半時間におよぶドイツ語の作品の中で
   彼は、人の声のアンサンブルが表現し得るすべての響きの可能性を、常に
   テキストの示す通りに、有機的な全体の響きへと結び合わせていった。
   原初のカオスからいかに世界は浮上したのか。原始的な「ホッ ホッ」と
   いう声が、グリッサンドで下がりチッ チッという音が弾けるとユニゾン
   となり更に思いがけない短調の和音、フーガ、ゴスペルの響き。天地は
   音楽と共に音楽によって生まれ、音楽は天地創造によって成立するのだ。
   全く想像を絶した、緊張に満ちた聴体験であった。音楽がテキストを伝え
   たのである。シュッツにおいてもこのことは有効に働いた。冒頭の6声の
   モテット〈言葉は肉となり〉の演奏は目がつんでおり、文化の隔たりにも
   かかわらず、内的緊張とテキストの理解がはっきり伝わってきた。コン
   サート全体を通じて、なんといっても強く心に残るのは、この合唱団の
   創立者で指導者の精密かつ表現力に富んだ指揮である。[後略]
                        ヨハネス・ムンドゥリイ

ゾーストの街を散歩していると「ああ、あなたが日本のシュッツ・コーアの……知っていますよ」とにこにこ笑いながら近寄って来られた今は亡きシュッツ学者シュトイデ教授(Prof.Dr.Wolfram Steude 1931-2006)、一瞬にして人を解放させるお姿、雰囲気、たたずまいでした。私たちの演奏をお聴き下さったことも嬉しく貴重な思い出の一つです。

11月3日(木)午後7時 石橋メモリアルホール  〈レクイエムの集い〉
クラウディオ・モンテヴェルディ《愛する女の墓に流す涙》
柳澤一枝、羽鳥典子、細川裕介、淡野太郎 & アンサンブル・クラウディオ

ガブリエル・フォーレ《レクイエム》
ソプラノ:嶺貞子
バリトン:宮原昭吾
合唱:アンサンブル・クラウディオ & ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京
オーケストラ:シンフォニア・ムシカ・ポエティカ
Vn:小野萬里、竹嶋祐子
Va:李 善銘、森田芳子、渡部安見子、S.Sieben、成瀬かおり
Vc:渡辺真帆子、西澤央子
Vc:諸岡範澄、鈴木康史
Kb:西澤誠治、桜井 茂
Hr:井手詩朗、関川純二、窪田克己、瀬在正生
Trb:萩谷克己、利根川勝、山城純子
Fg:井上俊次、越 康寿
Timp:永曽重光
Harp:早川りさ子
Org:武久源造
指揮:淡野弓子

モンテヴェルディとフォーレ? 奇妙なプログラミングだなと思われた方も多いのではないでしょうか。この2曲は次のようないきさつで私の中に浮かんだアイディアでした。1970年代後半、私はアメリカで一枚のレコードを見つけました。そこにはモンテヴェルディのマドリガルが9曲収められており、曲の造りがはっきり分かる非常に明晰な演奏でした。しかしその歌い方は様式に則った、とか、作曲された当時の演奏スタイルに忠実な、といったものとは全く次元の異なるものでした。そこに渦巻いていたのは、作品に対する深い信頼と存在の根源に迫ろうという激しい情熱でした。指揮はナディア・ブーランジェ。彼女はそれまで発掘されずにいたモンテヴェルディの作品を数百年ぶりにこの現世に解き放ったのです。それは1937年彼女が50歳の時のことで、彼女の最初のレコードであり、モンテヴェルディが録音されたのもこれが初めてでした。
次に知ったのは、ブーランジェはガブリエル・フォーレの弟子であるということでした。『ナディア・ブーランジェとの対話』(佐藤祐子訳・音楽之友社)の中で彼女はフォーレについてこう語っています。「実際私にとって特に大事であったのは、フォーレのクラスです。私たち生徒はそれぞれの人生を照らし、導いてくれたフォーレから多大な影響を受けました。彼の気品溢れるセンス、無類の慎み深さと冷静さ、その超俗的な視野に感化を受けたのです。」

ブーランジェが結ぶモンテヴェルディとフォーレの糸はさらに先へ伸びて行きました。ブーランジェの後任としてパリ音楽院で教えておられたピュイグ・ロジェ先生はのちに東京藝術大学でも教鞭をとられ、多くの音楽家とともにコンサートを開かれました。そしてこの日フォーレ《レクイエム》のソプラノソロは、ロジェ先生との名演を数多く残しておられる嶺貞子さんだったのです。ロジェ先生は1992年11月24日に旅立たれました。1994年の〈レクイエムの集い〉プログラム追悼のページにお名前が掲載されています。
1994年は12月25日(日)本郷教会のクリスマス・コンサートとともに終わり1995年を迎えました。(続く)