ムシカ・ポエティカ

ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京 40年の軌跡(12)

会員 淡野弓子 

 1995年、19年を経た今思い返せば、この年は1月17日早朝、阪神・淡路を襲った大地震で始まったのでした。大阪のシュッツ合唱団の方々は全員無事でしたが、家が壊れた方は何人もおいでになったということでした。この大惨事に唖然としながらも、第7年次に入ったシュッツ全作品連続演奏第12回目コンサート(3月3日) の準備を進めました。

3月3日(金) 午後7時 武蔵野市民文化会館 [ARTE] 小ホール

シュッツ・ソロアンサンブル〈サギタリウス公演〉[No.2]
 シュッツ全作品連続演奏[XII]
アンサンブル・サギタリウス、アンサンブル・クラウディオ、
 ハインリヒ・シュッツ合唱団

M.Sop.: 羽鳥典子
Vn: 小野萬里、上田美佐子
Rec: 淡野太郎
Cto: 濱田芳道(現・芳通)、細川大介
Trbne: 萩谷克己、故・利根川勝、巻島俊明
Va da gamba: 中野哲也
Chtne:竹内太郎
Vne: 西澤誠治
Cemb: 故・小島芳子
Org: 武久源造
指揮/ M.Sop: 淡野弓子

モンテヴェルディ〈おお、春よ〉〈優しい金髪が〉
シュッツ《オーロラのような金髪が》(SV 440)
  〈おお、春よ〉(SWV 1)
モンテヴェルディ〈私は野の草〉
シュッツ 〈私の魂は出て行きます〉(SWV 263)
  〈エルサレムの乙女たちよ、誓って下さい〉(SWV 264)
  〈愛しい人よ、来てください/ 私の妹、花嫁よ、私は来た〉(SWV 274)
モンテヴェルディ《マニフィカト》
                  〜休憩〜
シュッツ〈神の子らよ、主に帰せよ〉(SWV 283)
  〈主の御声は水の上に響く〉(SWV 331)
   《バビロンの流れのほとりにて》(SWV deest)
   《マニフィカト》(SWV 468)

 シュッツのソロとソロアンサンブルのための作品は130〜150曲ほど遺されており、その何曲かには強烈なイタリアの影響が見て取れます。軌跡[10]で報告しましたように、「声楽」としての旋律を自由に歌いこなせるソリスト、そしてそれらの歌手によるアンサンブル「サギタリウス」の初回の演奏会が1993年10月5日に開かれました。この時、折から来日中のアグネス・ギーベル女史がシュッツの《Kleine geistliche Konzerte Iクライネ・ガイストリッヒェ・コンチェルテ》(1636)(SWV 282-305)よりのソロコンチェルト〈O süßer, o freundlicher おお甘く、親しき〉を始め、徳永ふさ子さんと2重唱曲、さらに《Musikalische Exequien ムジカーリッシェ・エクゼクイーエン》(1636)(SWV 279-281)のソロアンサンブルに参加して下さり、私たちは大いに力付けられたのでした。
 さらにシュッツのソロがらみの曲には、とくにモンテヴェルディからの流れが強く感じられることから、シュッツがいかにモンテヴェルディを範としつつドイツ語の歌を確立し、さらに独自の世界を築いていったかを実感したいと思い、上記のようなプログラムとなりました。冒頭は両者が同じ歌詞に付けたマドリガル〈おお春よ〉、またモンテヴェルディの〈やさしい金髪が〉とシュッツの〈オーロラのような金髪が〉を続けて歌いました。〈オーロラのような金髪が〉はシュッツがイタリア語の〈やさしい金髪が〉を独訳し、それをモンテヴェルディの音楽に乗せた、いわばモンテヴェルディをドイツ語で歌うとどうなるか、という興味深い実験作です。
 さらに2人の《マニフィカト》を比較してみたい、というのも大切なテーマでした。旧約聖書の雅歌に歌われた男女の呼び交しがモンテヴェルディの《マニフィカト》へ進むさま、一方〈主の御声は水の上に響く〉(詩編29より)に歌われた神の声の途方も無いエネルギーと幽囚の民が復讐を誓う陰鬱な呻き(詩編137より)がやがてマリアの讃歌へ昇華されて行くシュッツの《マニフィカト》とを対比出来たことはこのコンサートの喜ばしい結果でした。
およそ一ヶ月後に〈受難楽の夕べ〉が開催されました。
4月5日(水)  午後7時 東京カテドラル聖マリア大聖堂
  〈受難楽の夕べ〉シュッツ全作品連続演奏 [XIII]
ハインリヒ・シュッツ合唱団
指揮: 淡野弓子

シュッツ:《ドイツ語ミサ曲 12の宗教歌》(1657)(SWV 420-431)より4声ア・カペラ
I. 「永遠なる主、神、父よ」
II. 「天には栄光」
III.「ニケア信条」
IV. 「聖餐の言葉」
V. 〈詩編第111編〉
VI. 〈われら皆、主に感謝〉 (SWV 420-425)

武久源造: イエスの受難《結実》  カンタータ《初めに言(ことば)ありき》第II章
ソロアンサンブルと2群の混声合唱ア・カペラ
 ラテン語のミサ典礼文はルターの宗教改革を経てドイツ語の式文を生み出しました。果たしてドイツ語は歌となるのでしょうか ? シュッツの《ドイツ語ミサ曲》はこの大問題に対する果敢な挑戦でありその成果と申せましょう。このミサ曲の各章はそれぞれ見事にまとまり、ドイツ語ならではの緊迫感、生き生きしたリズムによって、習慣化したラテン語の式文を吹き飛ばす勢いに溢れています。私たちは機会あるごとに好んでこの曲を歌いました。本郷教会の〈SDG讃美と祈りの夕べ〉では何ヶ月も《ニケヤ信条》を歌い続けた記憶があります。

武久源造の《結実》については作曲者自らの解説がありますので、ここに転載させて戴きます。
《結実》武久源造
 本作品は「初めに言(ことば)ありき」と題する4部からなり合唱オラトリオの第2部として構想された。2という数字の意味が重要である。2は分裂、対立を表す一方、神の第2の位格、キリストを指す。そしてこの曲は受難楽である。最初わたしは、伝統的な受難曲の悲しく静かな結末を考えていた。しかし、どうしてもそうはならなかった。輪は閉じなかったのである。
 作曲の間、キリスト教の歴史を動かしてきたあのダイナミックな波動を感じていた。その波動は二つの曲の間で動き続ける。旧約聖書と新約聖書、ダヴィデとイエス、戒めと赦し、ケルビムと十字架・・・・・。これらは決して観念的な定点ではなく、エネルギッシュに偏在する。様々な万華鏡的反映を、天と地に映し出しつつ。それは常に動いている。だから天国も地獄も地平線の彼方で繋がっているように見える。われわれも広い意味での命の営みを通して、この2つを行き来しているのかもしれない。しかしそれは単なる輪、単なる繰り返しではない。
 詩編 22は地獄の描写で始まる。地獄とは、「何故わたしを見捨てられるのですか?」と神に問わなければならない人間の惨めさである。イエスもこの言葉を十字架の上で叫んだ。しかし言葉は同じであっても、この二者の間には天と地ほどの差がある。どうしようもなくそこに立ち至った受身的地獄体験と、自ら進んでそれを引き受けた能動的なそれとの違いである。まずそこからこの曲を出発させた。ところが詩編はその独特なリズムによって、浮上し、神の国をこの世の果てまで述べ伝える天国的意思を我々に与えようとする。一方イエスも、十字架の上でただ超然としているだけではない。神の子キリストは、人間の惨めさを通って、「自らを低くし」、「死んで黄泉に下ろう」としているのである。キリストとともに歩んできた我々は、ここで一つの革命に出会わざるを得ない。なぜなら「神に見捨てられた」イエスが、「成し遂げられた」と宣言するからである。縦と横から二重に拘束された人間、永遠の苦悩の状態は止もうとしている。終わりのない回転運動は螺旋に変えられたのである。2は、確かに対立を暗示する。しかし、上下、内外、男女の調和と統合がなければ、「結実」はない。
 輪が変じて螺旋となる。波動と波動が合い混じって新たな次元を加える。しかり! この作品は次の局面、つまり3という数字を望み見ている。そしてそれはわたしの作品の次のテーマとなるだろう。
 ここでわたしは、敬愛する指揮者淡野弓子と、精神的同志であるシュッツ合唱団のメンバーのために一音一音を書き付けた。彼らはそれらの音に命を与えるエネルギーとなり、聴こえざる音を聴こえるようにしてくれると堅く信じている。またわたしの作品に少しでも興味を持ち、ここに集まって下さった一人一人の聴き手の方々に、
心からの感謝を捧げたい。         1995年4月5日  たけひさ・げんぞう
 この作品は詩編第22編に十字架上の七つの言葉とそれを取り巻く周囲の状況をテキストとし、この二種類の歌詞が入り混じって音楽が進められ、すべてドイツ語が用いられていました。作曲者に日本語のオラトリオの可能性を訊ねたところ、「自分の音楽と作曲技法では今のところドイツ語でしか書けない」との答えでした。しかし曲の結尾部に「神について、宇宙について、自分のアイデンティティーについて自分自身の言葉、自分の肚であたためた言葉によって表現せよ」という作曲者からの問いかけが記されており、ここで合唱メンバーは口々に自らの考えを日本語で語り出しました。聴き手の方々は突如出現した日本語に戸惑われたようでした。ここで我々は「日本語を語る声」の研究にすぐにも取り組まねばと感じた次第です。そして、シュッツがラテン語からドイツ語への跳躍を成功させたように、我々もヨーロッパの言語を元に組み立てられた3和音から12音、無調への道を熟視しつついつの日か日本語の歌が生まれないものか、と願う日々が続きました。

 不思議なことに、今年、2014年11月に私たちは鈴木ユリイカ 詩/ 江端伸昭 曲の《海のヴァイオリンがきこえる》という女声合唱とピアノのためのコンチェルトを演奏しました。2002年に作曲されたこの作品は日本語の高低アクセントがそのまま聴き手に伝わるように旋律に工夫が施され、ほとんど仮名一文字に異なった和音が付けられ、その和音がそのまま言葉の意味を鮮烈に表現している、という驚くべき音楽でした。この作品についての詳述はずっと後になると思いますが、日本語の歌詞と調性音楽がまことに斬新なアイディアによって見事に「結実」した作品であったこと、演奏後、会場の隅々まで日本語がはっきり聴き取れたという感想を戴き、長年の夢が現実のものとなった喜びをご報告申し上げます。

 4月、ドイツから「ボン室内合唱団」が来日、シュッツ合唱団とジョイントリサイタルを開きました。指揮者ペーター・ヘンに率いられたおよそ40名からなる「ボン室内合唱団」はメンバーの半分が専門家、半分が学生でルネサンスを始めあらゆる時代様式に対応する高水準の団体です。
 ドイツから一通の航空便が届いたのは1994年の秋、それは「前略 秋色もようよう濃くなって参りました。淡野先生お元気でいらっしゃいますか。八年前に日本にいる間Heinrich-Schütz合唱団に参加させていただいて本当にありがたいことでした。音楽を通じて文化の違いを越えることができますね。(後略)」という毛筆で和紙にしたためられた美しい便りで、書き手は1980年代の後半シュッツ合唱団のメンバーだったドイツ人アネッテ・ディーンハルト嬢でした。彼女が属している「ボン室内合唱団Bonner Kammerchor」が日本に来るとのこと、すぐにハインリヒ・シュッツ合唱団・東京とのジョイント・コンサートの計画に移りました。レパートリー・リストには我らがシュッツ合唱団とほぼ同じ曲目が並んでいたので企画の段階からお互いに親しみを感じ、彼らの到着を待ちました。
4月16日(日)復活祭  午後7時  バリオホール
〈復活祭特別演奏会〉
ペーター・ヘン: 指揮 ボン室内合唱団
 (BONNER KAMMERCHOR LEITUNG:PETER HENN)
淡野弓子: 指揮
ハインリヒ・シュッツ合唱団
 (HEINRICH SCHÜTZ-CHOR, TOKYO LEITUNG:YUMIKO TANNO)

モンテヴェルディ〈おお、春よ〉(東京)
〈もう死んでもいい〉(ボン)
シュッツ〈おお、春よ〉(ボン)
バウアJürg Baur《雅歌よりHoheliedmotette 3》(ボン)
武久源造 《天地創造》(東京)

マルタン〈キリエ、クレド〉(ボン)
ヴォルフ〈服従〉(ボン)
レーガー〈夜、わたしは夢を見た〉(ボン)
グリーク〈なんと美しいあなた〉(ボン)
シャイト〈2人の天使が呼び交し〉(ボン/東京)
 ボンからはバウア《雅歌より 3》、東京からは武久源造《天地創造》と、いずれも現存の作曲家の新作を歌うことが出来たのはこの会の大きな収穫でした。また 武久源造《天地創造》にはボンの歌手たちから総立ちの拍手が贈られました。帰り道、彼らは水道橋の改札口、飯田橋の地下鉄構内で次から次へとドイツ民謡を歌ってくれ、駅員さん、乗客、そして反対側のホームに立つ人々までもが大拍手!また当時ムシカ・ポエティカは大森山王のヴォーリーズの設計による大きな家で活動していましたので、ヘン氏を始め何人もの方にお泊まり戴き、食事を共にして軽い話、深い話で夜を過ごしたのも楽しい思い出です。

 ドイツから楽人の訪日が続きます。5月~6月はアグネス・ギーベルです。ギーベル先生は東京藝術大学、広島のエリザベート音楽大学などで開かれた公開講座の講師として、学生たちにドイツ・リートのレッスンをなさいました。ギーベル先生が一貫して教えられたことは、「高声は低声からの倍音で」という原則で、どの旋律もまずはオクターヴ下で歌うことから始められたのです。ソプラノ歌手にとってはあっけに取られるような話で、学生たちがこの原則を理解するにはなかなか時間が掛かりますが、20年を経た今、私はこの方法が全く正しく、さらにその成果は比類のないものであるとの確信に至りました。
 またこの頃私はチェンバリストの故・鍋島元子さんと「カンターレ・スオナーレ」というアンサンブルを組み、〈衝撃と安息のスペース〉というシリーズのコンサートを開いていたのですが、ここでもギーベル先生に歌って戴くことが出来ました。

5月19日(金)午後7時  日本工業倶楽部
〈衝撃と安息のスペース〉Part4
セイチェント(17世紀)とセッテチェント(18世紀) “イタリア/ ドイツのバロック”
Sop: アグネス・ギーベル
M.Sop: 淡野弓子
Rec: 山岡重治/ 濱田芳道(現・芳通)
Va da gamba: 平尾雅子
Cemb: 鍋島元子

シュッツ 〈歌え、主に向かって新しき歌を〉(SWV 342)(M.Sop/ 2Rec/ BC.)
トゥリーニ《2つの高音声部のためソナタ》(2Rec/ BC.)
ヴェックマン《トッカータ イ調》(Cemb.Solo)
ブクステフーデ 《ユビラーテ ドミノ》(M.Sop/ Va da gamba/ BC.)
ベルターリ《3声部のためのソナタ》(2Rec/ Va da gamba/BC.)
              〜休憩〜
ムッファト《パッサカリア ト調》 (Cemb.Solo)
J.S.バッハ パレスのアリア〈羊は安けく草をはみ〉(BWV 208) (Sop/ 2Rec/ BC.)
テレマン《ファンタジー ト短調、ト長調》(無伴奏リコーダーのため)
J.S.バッハ〈我 満ち足りて(叙唱)〉〈眠れ、つかれし眼よ(アリア)〉 (Sop/ BC.)
 リハーサルではギーベル先生のバッハ解釈とテンポが古楽畑の奏者たちと噛み合わず大騒ぎとなりました。歌い手は自分が楽器なので、声帯の喜ぶテンポというものにはある意味で絶対の信頼を置いて歌う人種なのですが、それは必ずしも音楽や他の奏者の喜ぶところではない場合が多く、この種のトラブルは起こって当然なのです。さらに、ある時代の伝統の継承者と新時代の学問的発見につながる新しい様式感との拮抗も当時は至る所で起こっていたと思います。ギーベル先生は迷うことなくゆったりとご自分のテンポで〈羊は安けく草をはみ〉と〈眠れ、つかれし眼〉を歌われ、様式を超えてなお麗しい演奏というものがあるということを知らされました。

 次のコンサートは、もともと1992年10月20日に予定されていたものの、ギーベル先生のお怪我で流れ、実現の日を待っていたものです。
5月28日(日)午後6時30分 石橋メモリアルホール〈ムシカ・ポエティカ特別演奏会〉

Sop: アグネス・ギーベル、徳永ふさ子
Alt: 羽鳥典子
Ten: 細川裕介
Bass: 淡野太郎
古楽器アンサンブル
Vn: 小野萬里(コンサートマスター)、渡邊慶子、高田はるみ、上田美佐子
Va: 李善銘、森田芳子
Ob: 川村正明
Fg: 堂阪清高
Va da gamba: 中野哲也
Vne: 西澤誠治
Cemb: 岡田龍之介
Org: 武久源造
ハインリヒ・シュッツ合唱団、アンサンブル・クラウディオ
指揮: 淡野弓子

ヘンデル 詩篇110《わが主に賜わった主の御言葉》
 Sop: 徳永ふさ子
 Alt: 羽鳥典子
 Ten: 細川裕介
 Bass: 淡野太郎
 シュッツ合唱団 & クラウディオ
 古楽器アンサンブル
 Cemb: 岡田龍之介
 Org: 武久源造
バッハ アリア〈最愛のイエス、わが望み〉(BWV 32より)
 Sop: アグネス・ギーベル
 Ob: 川村正明
 古楽器アンサンブル
 Cemb: 武久源造
バッハ《プレリュードとフーガ 変ホ長調》(クラヴィーア練習曲集第3巻より)
 Organ Solo: 武久源造
バッハ ソロ・カンタータ《わが心血の海に漂う》(BWV 199全曲)
 Sop: アグネス・ギーベル
 Ob: 川村正明
 Va:李善銘
 古楽器アンサンブル
 Cemb: 武久源造
 アグネス・ギーベルが199番を? 本当に ? と何度も念を押された方がおられましたが、このコンサートの前評判は大変なものでした。本番の演奏は期待以上の「凄さ」、一生をかけて追求し、修練を重ねる道というものを目の当たりにし、共演した一人びとりが自分自身の決意を新たにした事と思います。

 真夏の一日、8/5(土)には市ヶ谷のルーテルセンターで「第七回ムシカ・ポエティカ祭り」が催され、日頃ムシカ・ポエティカ講座で研鑽を重ねているメンバーたちやスタッフの演奏に加えて、トロンボーン奏者萩谷克己さんのご長男、金太郎くんの作曲したヴァイオリン曲が小野萬里さんと徳永ふさ子さん(この時はヴァイオリニスト)によって初演され、三澤徹くん(藝大附属高校1年)のナチュラル・トランペットが父君三澤寿喜氏の伴奏で披露されました。また徳永ふさ子さんは雁部一浩氏作曲《石川啄木による八つの歌曲》、布瀬富夫詩《たばこの畑》などを作曲者のピアノとともに歌って下さるなど、変化に富んだにぎやかな時を過ごしました。

 続く8/13(日)本郷教会〈讃美と祈りの夕べ〉〜星の降るごとく では武久源造のフォルテ・ピアノ、淡野弓子のメゾソプラノを中心にシュッツ合唱団、クラウディオの合唱を加えてモーツアルト、ハイドン、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパンらの作品を演奏しました。

 秋を迎え9月には懸案のシュッツ《ベッカー詩編曲集 1628年》(SWV 97-256)の演奏が始まろうとしていました。「ベッカー」とは、17世紀初頭、当時の人々の良く知る旋律にのせて詩編が歌われたら、との願いから、旧約聖書の全150編をすべて韻文に書き換えたライプツィヒの神学者コルネリウス・ベッカー(Cornelius Becker 1561-1604)教授の名前です。シュッツの《ベッカー詩編曲集 1628年》には150編の詩編がすべて4声体の讃美歌の形で収められており、なかでも長大な119編には8つもの旋律と和声が与えられています。また同じ旋律に異なった和声が付けられているものなど、全部で160曲というこの多大な詩編曲集をどのように演奏していったらよいのか、当時はまだアイディアもなく、とにかく8曲を取り出し、それと同じテキストで他の作曲家が作った作品とを並べて紹介することにしました。「序」として1198年、パリのノートルダム寺院で初演されたと思われるペロティヌスのオルガヌム《Viderunt omnes 地のあらゆる国々は見た》を置いたのは、それが世界最古の4声体の合唱曲であるということ、それを生み出した修道僧たちの真摯なエネルギーを先ずは体感したかったからです。〈永遠の少年〉と名付けられた男声陣は独身が条件で、合宿も「決して女性を見ない」という掟の中で行われ、それは熱心にオルガヌムを歌いました。ここにそのメンバーの名前を記しておきましょう。
雨宮史朗、石井賢、武久源造、淡野太郎、細川裕介、依田卓の6名でした。
9月8日(金)午後7時 東京カテドラル聖マリア大聖堂
〈詩編頌唱〉ペロティヌス(12世紀)からペルト(20世紀)へ
   シュッツ全作品連続演奏[XIV]
アンサンブル・オルガヌム [永遠の少年](リーダー:武久源造)
ハインリヒ・シュッツ合唱団、
アンサンブル・クラウディオ
指揮: 淡野弓子

序 ペロティヌス オルガヌム《地のあらゆる国々は見た》([永遠の少年])
1.シュッツ《ベッカー詩編 8》(シュッツ合唱団)
 ジョスカン・デ・プレ《詩編 8》より〈主よ、われらの主よ〉(クラウディオ)
2.パレストリーナ《詩編 42》より〈渓川の水を慕いて喘ぐ鹿のように〉(クラウディオ)
 シュッツ《ベッカー詩編 42》(シュッツ合唱団)
3.シュッツ《ベッカー詩編 43》(シュッツ合唱団)
 メンデルスゾーン《詩編43》より〈神よ、あなたの裁きを〉(シュッツ合唱団)
4.シュッツ《ベッカー詩編 116》(シュッツ合唱団)
 シャイン《詩編 116》より〈わたしは主を愛する〉(シュッツ合唱団)
          〜休憩〜
5.シュッツ《ベッカー詩編 98》(シュッツ合唱団)
 ディストラー《詩編 98》より〈歌え、主に向かいて新しき歌を〉
6.シュッツ《ベッカー詩編 113》(シュッツ合唱団)
 モンテヴェルディ《詩編113》より〈主の僕らよ、主を讃美せよ〉(クラウディオ)
7.シュッツ《ベッカー詩編 84》(シュッツ合唱団)
 シュッツ《詩編 84》より〈万軍の主よ、あなたの住まいのいかに麗しき〉(シュッツ合唱団)
8.シュッツ《ベッカー詩編 137》(シュッツ合唱団)
 ペルト《詩編 137》より〈バビロンの流れのほとりにて〉(シュッツ合唱団)
 最後に歌ったペルトの音楽は歌詞が無く、各パートが代わる代わる母音 i, e, o で歌い出し、声部が重なったりオルガンが加わったりしながら進むという音楽でした。
  「バビロンの流れのほとり、シオンを思ってわたしたちは泣いた。
   竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。
   わたしたちを捕囚にした民が
    歌を歌えというから
   わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして
   「歌って聴かせよ、シオンの歌を」というから。

  どうして歌うことが出来ようか
  主のための歌を異教の地で。」(後略)
「どうして歌うことが出来ようか」との言葉を言葉無き声に託したペルトの心の深層に触れた思いでした。

 今年の10月、なんと私は24年ぶりにペルト氏と再会しました。ペルト氏は今年高松宮記念世界芸術賞を他の4人の芸術家とともに受賞され、その式典と祝賀会のため来日されたのです。24年前は祖国を離れベルリンで生活しておられました。その頃の氏はやや寂しげで沈痛な面持ちでした。「僕は故国も友人も棄てた人間だから」との言葉は胸に刺さり、咄嗟には返事が出来ませんでした。ところが今年のペルト氏は心身に解放感が漲り、喜びに溢れ、終始にこやかでした。世界文化賞がエストニア国の芸術家に贈られるのは初めて、ということもあって、その晴れ晴れとした姿は真の「エストニアの人」でした。
 受賞者のインタビューをまとめたTV番組でペルト氏は「ティンティナブリ 鈴鳴り様式」について解説され、一つの旋律の一つひとつの音に、第2の旋律の音が一つずつ重なって行きそこに発生する響きの霊妙さを自身でピアノを弾きながら丁寧に説明されました。そしてこう語られたのです。「自分の先生の先生を辿って行くと、それは『神の言葉』でした。」この言葉は私にとって今年最大のメッセージでした。

 あらゆる響きには根音があり、その根音をさらに探っていくと原初に発せられたたった一つの音に行き着きます。そのたった一つの音、それは福音史家ヨハネの告げる「初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。」[ヨハネ1、1]ではないか、と私は今感じています。

 死者の月11月、恒例の〈レクイエムの集い〉を開くにあたり、大震災で始まったこの1995年のプログラム作成には大分苦労しました。名曲として遺されている「レクイエム」も選択の対象ではありましたが、やはり危機に見舞われたこの年を思い返すと、同じように危機的状況の中で創作を続けた2人の作曲家が浮かび上がってきました。この「軌跡」でもすでにご紹介したフーゴー・ディストラーとルドルフ・マウエルスベルガーです。この2人の作品にバッハ、モンテヴェルディ、シャインの音楽を組み合わせ一夕のプログラムとしました。
11月8日(水)午後7時  石橋メモリアルホール
〈レクイエムの集い〉 〜魂の慰めのために〜
ハインリヒ・シュッツ合唱団
アンサンブル・クラウディオ
ムシカ・ポエティカ声楽アンサンブル
Cemb: 武久源造
Va da gamba: 中野哲也
Vne: 西澤誠治
指揮: 淡野弓子

J.S.バッハ《モテット IV 恐れるな、わたしはあなたと共にいる》
モンテヴェルディ《マドリガル集 III》より〈安らかに眠れ〉
シャイン《イスラエルの泉》より〈ヤコブは死の床で〉
クーナウ《聖書ソナタ 第6番 ヤコブの埋葬》(チェンバロソロ: 武久源造)
             〜休憩〜
R.マウエルスベルガー 追悼モテット《なにゆえこの都はかくも荒れ果て》
ディストラー《メーリケ合唱歌曲集》より〈序詞〉〈真夜中に〉
  〈狩人の歌〉〈さすらいの歌〉
J.S.バッハ《モテットIII  イエス、わが喜び》
 追悼モテット《なにゆえこの都はかくも荒れ果て》は当時クロイツ教会聖十字架少年合唱団の指導・指揮にあたっていたマウエルスベルガーが1945年2月13日の大空襲で壊滅した都ドレスデンを悼み、エレミヤ哀歌より歌詞を選んで作曲したものです。1994年のドイツ演奏旅行でマウエルスベルガーの《ルカ受難曲》をカッセルのキルヒデトモルト教会で歌った際、この教会のカントールであったギルシュ氏よりこの曲の楽譜を戴いたのです。ギルシュ氏はシュッツ合唱団に対しわざわざマウエルスベルガーの《ルカ受難曲》をリクエストされたのでした。氏は長年ドレスデンに住んでおられたのですが、旧東ドイツの体制内でこの受難曲は演奏されなかったとのことです。たしかに私たちがドレスデンのクロイツ教会で《ルカ受難曲》を演奏した時にも、ほとんどの人々が「初めて聴いた」と。歴史のもたらした出来事とはいえ、ドレスデン市民の気持ちを思うと瞑目あるのみでしたが一方、異邦人の為すことにも「摂理」が働く、ということに気付かされたのです。

1995年もクリスマスを迎え、本郷教会で〈クリスマス・コンサート〉が催されました。
12月17日(日)午後7時    本郷教会礼拝堂
〈本郷教会クリスマス・コンサート〉 〜みどり児はかくも愛らしく〜
ハインリヒ・シュッツ合唱団、アンサンブル・クラウディオ
Cemb/ Org: 武久源造  Rec: 淡野太郎  指揮/ M.Sop: 淡野弓子

コダーイ 《来れ、エマヌエルよ》(Chor)
シュリック 《優しきマリア》(Organ Solo)
M.プレトリウス 《みどり児はベツレヘムに生まれ》(Frauenensemble)
スヴェーリンク 《われらに一人のみどり児が》(Organ Solo)
M.プレトリウス 《みどり児はかくも愛らしく》(Frauenensemble)
シャイデマン 《神よ、あなたの慈しみに感謝します》(Organ Solo)
ディストラー 《歌え、爽やかに》(Chor)

クリスマスの意義——————救い主イエス様のご誕生   川崎嗣夫牧師

テレマン ソロ・カンタータ《諸国の民よ、聴け》(M.Sop/ Rec/ Cemb)
ブリトゥン《キャロルの祭典》より 〈入場行進/ 喜びもて迎えん 天の王を/
   比ぶるバラもなし/ この小さなみどり児は/ 退場行進〉 (Chor/ Cemb)
コレット《ノエル変奏曲》〈スイスのノエル/ プロヴァンスのノエル〉 (Cemb Solo)
タヴァナー《今日、処女は》(1989) (Chor)
最後に全員合唱でイギリスのキャロル《初めのノエル》(《讃美歌 21》より258番)
 このように終わった1995年でしたが、こうして思い出を辿ってみると良くも悪くも20年若いとはこういうことなのだ、と苦笑せざるを得ません。次回は1996年、一体なにが起こったのでしょうか。(続く)