ムシカ・ポエティカ

ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京 40年の軌跡(13)

会員 淡野弓子 

 1996年の公演活動は2月14日のコンサートで幕を開けました。シュッツ全作品連続演奏も第8年次に入りこのシリーズ第15回目のコンサートです。
2月14日(水)午後7時 ヴォーリーズホール(お茶の水)
シュッツ・ソロアンサンブル〈サギタリウス公演〉[No.3]シュッツ全作品連続演奏[XV]
アンサンブル・サギタリウス
Solo Ensemble
 S:徳永ふさ子 / 大石すみ子
 M.S:石塚瑠美子 / 淡野弓子
 A・T:細川裕介
 Bar:淡野太郎
 B:石井 賢 / 春宮 哲
Capella
 S:木田いずみ / 宮本真子 / 矢野由理
 A:蘆野ゆり子 / 柴田圭子 / 柳澤一枝
 T:雨宮史朗 / 依田卓
 B:石井賢 / 春宮 哲
Cem. / 解説: 武久源造
指揮:淡野弓子

Heinrich Schütz:Kleine geistliche Konzerte(1636)
《クライネ・ガイストリッヒェ・コンツェルテ小編成の教会コンツェルト集》
第I・II全55 曲より1636年の第I集から11曲を演奏

1. 主よ、速く来たりて我を助けたまえ(SWV 282) S.Solo
2. 神よ、我に清い心を(SWV 291) ST
3. 恐れるな、我 汝とともにあり(SWV 296) BB
4. 悪しきものの謀り事に歩まぬ者は幸いなり(SWV 290) SA
5. 我ら皆唯一の神を信ず(SWV 303) SSTB
6. 見よ、我が弁護者を(SWV 304) SATB
7. おお、助けたまえ、神の御子キリストよ(SWV 295) TT
8. イエス・キリストの御血はわれらを浄む(SWV 298) SSB
9. おお主よ、助けたまえ(SWV 297) SST
10.神の子らよ、主に帰せよ(SWV 283) M.Sop.Solo
11.我わがものを主に帰せり(SWV 305) SSATB / Capella
 お茶の水のカザルスホール、その一角にあったヴォーリーズホールも今は無くなり寂しい限りですが、そのヴォーリーズホールで100名ほどのお客様に囲まれ、この小さなコンサートが持たれました。お話をしながらゆっくりと1曲ずつ聴いていただきました。タイトルである „Kleine geistliche Konzerte“ の „geistlich“ という言葉について考えるところから話が始まったように思います。一般的には「宗教的」と訳される „geistlich“ は、特にシュッツの音楽を考える際、もう少し違ったニュアンスがありはせぬかと思ったからです。
 ドイツの教会音楽を単に圏外の傍観者として紹介するのではなく、自らが信仰のただ中へ飛び込み、そこに生きることを通して、人間の心の最奥に潜む「創造主への畏敬」に目覚めると同時に、日常のあらゆる場面で現れ出る「エゴ」と格闘しつつ言葉を音にするという作業を繰り返すことを求められているのでは・・・といったことがこの「小さな編成のコンチェルト」に対した時に示された奨励であり促しでした。そしてこのような場面では、「西洋の」「キリスト教の」「ドイツ語の」といった枠組みを超えて考えることができるのではないかとの思いから、「宗教的」というよりは「霊的」と言った方が個々人の心にすっと入るように思えたのでした。
 イグナチウス・ロヨラは『霊的修練(霊操)Geistliche Übungen』を著しました。日本には「霊性」という言葉があり、鈴木大拙師の『日本的霊性』という書物があります。ドイツの神秘主義の流れを汲むさまざまな芸術を理解し、時に演奏する者にとって非常に学ぶ所の多い本でした。暗中模索で続けた全曲演奏でしたが、この《Kleine geistliche Konzerte I, II》はもう1度全てを洗い直し演奏の機会を持ちたいと切に願っている作品集です。

 さて3月にはギーベル先生が来日されることとなり、以下のように二つのコンサートが企画されました。
3月19日(火)午後7時 カザルスホール(お茶の水)
SCHUMANN-ABEND
S: Agnes GIEBEL アグネス・ギーベル
A:Yumiko TANNO 淡野弓子
T:Masatoshi SASAKI 佐々木正利
B:Taro TANNO 淡野太郎
Am Flügel:Genzo TAKEHISA 武久源造

ROBERT SCHUMANN(1810-1856)
I. Duette
 An den Abendstern 夕星に(SA)/
 So wahr die Sonne scheinet 陽は真に輝き(SB)/
 Sommerruh 夏の静けさ(SA)/
 Wiegenlied 子守歌——病いの床に臥すせる幼児に(ST)/
 An die Nachtigall 鶯に(SA)
II. Frauen-Liebe und Leben《女の愛と生涯》 S.Solo:Agnes Giebel
III. Spanisches Liederspiel《スペインの歌芝居》独唱・2重唱・4重唱による
 これは美しい音楽会でした。74歳のギーベル先生の磁力に吸い寄せられるように皆声を合わせ、佐々木まり子さん(正利氏夫人)からは「皆の声の方向が同じで良いアンサンブルでした。」との嬉しいご感想。しかしなんといっても絶品だったのはギーベル先生の歌われた《女の愛と生涯》でした。先生も「あの時の„Frauen-Liebe“ は良かった。録音を選ぶ時にはこの日のものを。」と仰っておられました。
3月27日(水)午後7時 東京カテドラル聖マリア大聖堂
アグネス・ギーベルを迎えて〈受難楽の夕べ〉シュッツ全作品連続演奏[XVI]

I. Johann Sebastian Bach
 Geistliche Lieder aus 《SCHEMELLIS GESANGBUCHシェメッリ宗教歌曲集》より
 Orgel   O Mensch, bewein deine Sünde groß おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け
 Gesang  O bitt’re Leidenszeit 激しき受苦の時が
 Orgel   O Haupt voll Blut 血潮したたる御頭
 Gesang  Mein Jesu,was für Seelenweh わがイエスよ、いかなる魂の痛み
 Gesang  So gehst du nun mein Jesus hin わがイエスよ、あなたは行かれる
 Orgel   O Haupt voll Blut 血潮したたる御頭 [BUXTEHUDE]
 Gesang  So gebst du nun わがイエスよ、あなたは今
 Gesang  Es ist vollbracht 成し遂げられた

 S: Agnes GIEBEL アグネス・ギーベル
 Org: Genzo TAKEHISA 武久源造
II. Heinrich Schütz
 《JOHANNES-PASSION ヨハネ受難曲》(SWV 481)

 福音史家:大森雄治  イエス:淡野太郎  ピラト:細川裕介  ペテロ:依田卓
 下女:柴田圭子  下僕:石井 賢  下僕:春宮 哲
 合唱:ハインリヒ・シュッツ合唱団  指揮:淡野弓子
III. Giovanni Battista Pergolesi
 《STABAT MATER スターバト マーテル》

 S:Agnes GIEBEL アグネス・ギーベル  A・指揮:淡野弓子
 ハインリヒ・シュッツ合唱団 [SA]
 Vn I:山中 光  Vn II:吉井雅子  Va:荒木信子  Vc:飛山宣雄  Cb:富永岳夫
 Org.Positif:小林英之
 前後の2曲にギーベル先生のご共演を仰ぎ、シュッツの《ヨハネ受難曲》をすべて合唱団のメンバーで歌ったという〈受難楽の夕べ〉でした。福音史家ヨハネを朗唱した大森雄治さんは、数年前にバッハの《ヨハネ受難曲》の福音史家を務め、素晴らしいドイツ語の発音でひと言の間違いもなく歌い切り、ああ、人は努力によってここまで伸びるのか、と驚いたものでした。とはいえ多くの課題も残していましたので、今回ア・カペラの《ヨハネ》を演奏するにあたり、大森さんにもう1度ヨハネの言葉を語り歌って貰おうではないか、ということになったのです。
 大森さんがシュッツ合唱団に入団したのは1974年の「練習生の公募」がきっかけでした。この時に練習生として入団された大森さんは大学を卒業するかしないかだったかと思います。彼の専門は植物学ですが、大学で正木光江先生のお講義を受講されたと伺いました。以来研究と仕事、そして音楽を両立させながら自らの実力を耕作していったのです。
 この日は、これまで〈アンサンブル・クラウディオ〉で歌っていたメンバーがほとんどシュッツ合唱団のメンバーとなって初めてのコンサートでした。多くの心配がつきまといましたがなんとか無事に終わり、シュッツのような地味な音楽を歌って行こう、という人がこれまで絶えなかったことに感謝しました。急に大きくなったシュッツ合唱団の陣容はS:17名、A:15名、T:6名、B:8名 計46名 という驚くべき人数でした。しかしここで一緒に歌って下さった毛利忍さん(既報)、野間明子さん、齊藤公治さんが天に召されました。彼の世での浄福を心よりお祈り申し上げます。
 またプログラムには「新設:シュッツ少年合唱団」〜7歳以上の少年を募集中。少女も大歓迎です〜との見出しで5月25日(土)より、との案内が載っています。

 5月27日(月)には午後7時よりバリオ・ホールで〈西澤誠治コントラバス演奏会〉が開催されました。小倉貴久子 ピアノ、篠崎史紀 ヴァイオリンの共演を得て、普段はソロで聴くことの少ないコントラバスの音色と音楽を堪能しました。さらに西澤さんは、時代にふさわしいそれぞれのスタイルのヴィオローネ、コントラバスへの造詣が深く、遂にはシュッツのヴィオローネVioloneだったらこれ、という楽器も見つけ出され、私たちは大変幸福な本番を重ねることが出来ています。

 さて6月には次のような当時としてはちょっと珍しい音楽会が開かれました。
6月21日(金)午後7時 浜離宮朝日ホール
Schubert & Brahms on the Broadwood Antique Piano
アンティーク・ピアノによるシューベルトとブラームス

JOHANNES BRAHMS(1833-1897)
 ZIGEUNERLIEDER Op.103 ジプシイの歌 (全11曲)
  指揮:淡野弓子   ハインリヒ・シュッツ合唱団  P:武久源造
 Ballade バラード Op.118-3
 Romanze ロマンツェ Op.118-5
  P.Solo:武久源造
 Zweigesänge für eine Altstimme mit Viola und Klavier
 アルトとヴィオラ、ピアノのための二つの歌
  秘めたる憧れ Op.91-1
  宗教的な子守歌 Op.91-2
  A:淡野弓子  Va:浦川宣也  P:武久源造
 FRANZ SCHUBERT (1797-1828)
  Forellen-Quintett ピアノ五重奏曲《鱒》 Op.114 (D.667)
   P:武久源造  V:瀬戸瑤子  Va:浦川宣也  Vc:平田昌平  Cb:西澤誠治
 プログラムに掲載されたピアニスト武久源造の説明をご紹介致しましょう。
今夕のピアノについて
 今回使用させていただくジョン・ブロードウッドのピアノは百数十年前の19世紀の音色を良く今に伝えている。弦は平行に張られ、1音1音に個性がある。フレームには木の部分が多く弦のスケーリングも細めでハープに近い室内楽的な響きがする。中音域から高音域にかけての共鳴が豊かで、人声に近い円みと暖かさをかもす。全体のドライな響きを補うかのようにダンパーは今日のものより遥かに小さくなっている。これによって各々の音に豊な残響が与えられる。そしてこれをコントロールする鍵盤アクションはイギリス独特の突き上げ式で、勿論エスケープメントは一つだけである。これは今日のピアノより鍵盤が深くて重い。しかし指の力が直接ハンマーに伝わるので、例えば鍵盤を最後まで押さえないハーフタッチによって様々な音色を引き出すことが出来る。
 このピアノで和音を弾いてみると、その中に多彩な音色を含みつつもそれが良くハーモニーして聴こえる。これは歌の伴奏やハーモニーを大いに助ける。他の楽器や人の声と良く融け合うというのは所謂古楽器全般の特徴であるが、このピアノはさらにその上に独特の暖かさと包容力を感じさせる。耳慣れた19世紀の音楽がどこかエキゾチックに、そして信じられないほど生き生きと聴こえて来るのだ。〜後略〜

 ブロードウッドの鐘のような音色はまず心身をハッと目覚めさせ、それから徐々に人をノスタルジックな気分に誘います。音楽の語る風景———川の水の色や樹木の茂みから立ち上る幻の香りまでが、普段とは全く違う印象で、不思議な奥行きを感じさせました。
 岩倉茂さんご所蔵の楽器を加屋野正裕さんが調律とメンテナンスをお引き受け下さりこのコンサートに至りました。そして他にも多くの方々のご好意がありました。最初の練習が楽器の倉庫で行われたことも懐かしい思い出です。

次の記録には私自身いささか驚いております。
8月16日(金) ティアラ江東・小ホール
淡野桃子メゾソプラノ・リサイタル  ピアノ:梅谷初
フォーレ《五つのヴェニスの歌》/ ドビュッシー《ビリチスの歌》/ 現代アメリカの歌曲 ほか
 卒業演奏を終えたばかりの2人が開いたコンサートの記録ですが、当の桃子、只今ミネアポリスより一時帰国中で、20年ぶりに同輩の梅谷初さんと「デュオ・うめももリサイタル」をこの夏、7月23日(木)三鷹市芸術文化センター「風のホール」で開催するのです。執筆中にこんなことが起こることも不思議ですが、若かった2人がドイツとアメリカで20年がんばってこれましたこと、そして再び日本の皆様に彼女たちの「今」を聴いて戴く機会に恵まれましたことを感謝してご報告申し上げます。

秋———
10月4日(金) 東京カテドラル聖マリア大聖堂
《Geistliche Chormusik 宗教合唱曲集》(1648)全29曲 シュッツ全作品連続演奏[XVII]

R・ Schawm・ Dulcian:江崎浩司  R:淡野太郎
Baroque Va:森田芳子  Baroque Vc:諸岡範澄/ 西澤央子
Vln:西澤誠治
Baroque Trb:萩谷克己/故・利根川勝/ 巻島俊明/ 三宅伸哉/ 首藤健一/ 喜多原和人
特別出演 S:アグネス・ギーベル
ハインリヒ・シュッツ合唱団/ シュッツ少年合唱団  指揮:淡野弓子
 この曲集はシュッツの自選モテット集ということも大きな要因かと思いますが、どの曲も骨組みががっしりしており、これらのモテットを歌うことによって合唱団自体の軸が正され、一語一語を発するたびに巻き起こる霊的エネルギーがその場の空気を一新することを実感しました。また5月から練習を始めたシュッツ少年合唱団がお客様の前で初めてシュッツ [12,16,27番] を実際に歌った日でもありました。さらにギーベル先生が重唱でご参加下さり、また私たちにとっては初めてのバロック・トロンボーン6本というアンサンブルが実現し、29番の「お前、悪い僕よ」をT. & 6声のトロンボーンというシュッツの望んだ編成で歌うことが出来ました。アンサンブルにショーム(ポンマー)が加わったことも初めてでした。全作品連続演奏の中で迎えた《Geistliche Chormusik》(1648)は、こうしてもともと地味な音楽とはいえ、華やかな要素が散りばめられ記念すべき一夕となりました。

さて11月はいよいよヘンデルです。
11月10日 (日)午後6時 石橋メモリアルホール
G.F.HÄNDEL An ORATORIO《BELSHAZZARベルシャザール》
セミステージ形式によるコスチューム付上演

バビロニアの国王 ベルシャザール(T):佐々木正利
ベルシャザールの母 ニトクリス(S):アグネス・ギーベル
ペルシャの王子 サイラス(キュロス)(M.S):故・鳴海真希子
ユダヤの預言者 ダニエル(M.S):淡野桃子
アッシリアの貴族 ゴブリアス(B):故・宮原昭吾
廷臣 アリオーク(T):淡野太郎
使者:大森雄治
ペルシャ人、バビロン人、ユダヤ人の合唱:ハインリヒ.シュッツ合唱団
S.Solo:徳永ふさ子  A.Solo:羽鳥典子

ムシカ・ポエティカ古楽アンサンブル
Baroque V:高田あずみ / 高田はるみ / 三輪真樹 / 大田也寸子
Baroque Va:諸岡涼子 / 上田美佐子  Archilute:竹内太郎
Vdg:中野哲也  Baroque Vc:諸岡範澄  Vlne:西澤誠治
Baroque Ob:江崎浩司 / 三宮正満  Baroque Fg:吉田将
Natural Trp:小林好夫 / 長田吉充  Tim:近藤高顕
Cem:武久源造  Org.Positif:今井奈緒子
指揮:淡野弓子  演出:故・渡部惠一郎
映像:新谷(現・五月女)温  挿絵:故・河路年子  衣装:故・野間明子
 突如現れたヘンデルです。長いあいだシュッツを歌い、バッハを敬愛してきた者ではありますが、ヘンデルの偉大性に触れると全く別次元の心の躍動感を覚えます。長年ヘンデル研究に携われた渡部惠一郎先生はオラトリオの上演に際し、最小限の衣装、小道具、そして歌い手のジェスチュアによって、一挙に内容が分かり、演奏者も聴き手も満足するということから、1990年代に多くの団体と小規模の舞台上演を試みておられました。ムシカ・ポエティカでも1度このような形でヘンデルのオラトリオ上演を望んでおりましたので、渡部先生のご指導を仰ぎ、ベルシャザールを上演しようということになったのです。ヘンデル自身に舞台上演の経験はない、ということでしたが、決まった型も伝統もないということは、かえって現代の私たちにとっては一から考えることが出来て非常に楽しい準備が進みました。しかし役者の出入りや立ち方、ちょっとした足の曲げ方などは芝居の約束事があり、それらを学ぶことも興味深いことでした。  配役はつぎのように決まりました。
1)バビロニアの国王で、日夜貴族や妻妾たちと酒宴に明け暮れ、エルサレムから持ち帰った神盃で酒を飲み神の怒りに触れるベルシャザール:佐々木正利
2)ベルシャザールの母で人の世の浮き沈みを憂い神の永遠性に想いを馳せるニトクリス:アグネス・ギ−ベル
3)ベルシャザールに息子を殺され悲嘆に暮れているアッシリアの貴族ゴブリアス:宮原昭吾
4)神に聖別されバビロンに攻め入りベルシャザールを倒すペルシャの王子サイラス(キュロス):鳴海真希子
5)ベルシャザール王酒宴の最中、壁に現れた謎の文字を解き明かすユダヤの預言者ダニエル:淡野桃子
 そして衣装です。それぞれに材質、模様、色の異なる布地で作った貫頭衣風の衣装で役柄を明確にし、ユダヤ人、バビロニア人、ペルシャ人を歌い分ける合唱は三通りの衣装を用意し、途中早変わりなどもしたのを覚えています。
 劇中のクライマックスである謎の文字が現れる場面は新谷(現・五月女)温さん渾身のアイディア・制作で、メモリアル・ホールの壁と天井に謎めいた文字が映し出され、異様な効果でした。また河路年子さんによる挿絵入りの対訳(渡部惠一郎)冊子も視覚的な助け大なるものがありました。
 それぞれの歌い手たちの歌唱、演技ともに役柄にピッタリで、中でも75歳で初役に挑戦したアグネス・ギーベルの女王は見事の一語につきました。
 オーケストラの通奏低音はアーチリュート、ヴィオラ・ダ・ガンバ、バロック・チェロ、ヴィオローネ、バロック・ファゴット、チェンバロ、ポジティーフ・オルガンという大変贅沢な陣容でしたが、ヘンデルの明確な人物描写、各民族の性格の違い、場面毎に醸し出される異なった雰囲気などを通奏低音の楽器を変えて行くことではっきり示せたのではないかと思います。

 最後に非常に悲しいお知らせではありますが、この公演に関わって下さった方々のうち、すでに5人もの方が天に召されました。なかでも、まさに世界の舞台に羽ばたく寸前に癌に襲われ旅立たれた鳴海真希子さん!言葉もありません。そして美しい声とともに常に風景の聴こえる歌を聴かせてくださった宮原昭吾さんも癌の魔手に。衣装を縫ってくださった野間明子さん、挿絵を描いてくださった河路年子さんも亡くなられ、そして渡部惠一郎先生のご逝去は2001年12月11日でした。
 1回1回のコンサートが正に一期一会のものであるとの感を深くし、瞑目しつつこの稿を終ります。(続く)