ムシカ・ポエティカ

ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京 40年の軌跡(5)

会員 淡野弓子 

 ワシントンD.C.から東京へ戻って半年後の1980年9月12日、ハインリヒ・シュッツ合唱団・合奏団は東京カテドラルにおいて、ジョヴァンニ・ガブリエリ、モンテヴェルディ、シュッツの作品による演奏会を開きました。シュッツは生涯二度にわたってイタリアを訪れ、最初は巨匠ジョヴァンニ・ガブリエリに直々の教えを受け、二度目はシュッツ自身が「鋭い感覚の人」と評したモンテヴェルディに魅かれたのでした。
 シュッツの生きた時代に言葉のついた音楽の様式が変化し、言葉よりは音楽に重きの置かれた古様式から、言葉と音楽が同等の価値を持つ新様式へと変って行きました。シュッツは最初のイタリア留学でジョヴァンニ・ガブリエリから古様式「第1の作法」を徹底的に叩き込まれ、二度目のイタリア訪問でモンテヴェルディの新様式に出会い、言葉が音楽と対等に扱われる「第2の作法」を自分のものとします。シュッツが真に優れ、秀でた才能の持ち主であったことは疑いの余地がありませんが、大事な時に大事な人に出会うといったような、大切な時をはずさなかった彼の直観にはこれからも驚かされることとなります。

 プログラムは前半がG.ガブリエリとC.モンテヴェルディ、後半にシュッツという構成です。シュッツ最初の4曲は‘新様式・・「第2の作法」・・華麗対位法’の作品です。また最後の3曲は2重合唱の音楽で、これは複合唱の大家ジョヴァンニ・ガブリエリから学んだもの、特に最後の《マグニフィカト》はシュッツの《白鳥の歌・詩編119》に付録として付けられた2曲のうちの最後の1曲(もう1曲は詩編100)で、この曲はガブリエリからの複合唱という枠組みの中でモンテヴェルディから学んだ言葉を前面出し劇的にストーリーを展開して行く作法が用いられています。これは彼の最後の作品ですが、彼が自分の創作活動の総仕上げとして、二人の恩人に感謝を現したのでしょう。この他にもシュッツは自分の人生の節目節目にその時にふさわしい作品を遺しており、あれほどの苦難に遭いながら、ここぞ、という時に、これこそは、という作品でその時を刻印しています。私たちは、シュッツのこのような創作態度に倣って、行き当たりばったりではないコンサートの開催と、時に適った選曲を心がけるようになりました。
ハインリヒ・シュッツ合唱団・合奏団演奏会

I.  ジョヴァンニ・ガブリエリ(1554 or 1557-1612)
 おお主イエス・キリストよ 2つの4声合唱 ア・カペラ
 ピアノとフォルテのソナタ 2つの4声合奏
 キリストは甦えり給えり 3声の男声合唱と9声の器楽合奏

II.  クラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643)
 他の者は歌え 愛の神を ソロ、2ヴァイオリン、6声合唱、弦楽合奏と通奏低音
 波はささやき 5声のア・カペラ
 今や天も地も ソロ、2ヴァイオリン、6声合唱と通奏低音

III. ハインリヒ.シュッツ(1585-1672)
 生ける限り 主を歌わん SWV260
  テノール独唱、2ヴァイオリンと通奏低音
 我に来たれ 重荷負う者 SWV261
  テノール独唱、2オーボエと通奏低音
 全地よ、主に向かいて歓びの声をあげよ SWV262
  バス独唱、2ブロック・フレーテと通奏低音
 喜べや ただしき者 SWV367
  アルト、テノール、バスの三重唱 2ヴァイオリンと通奏低音
 サウロ、サウロ なんぞ我を迫害するか SWV415
  6声の独唱陣、2ヴァイオリン、2つの4声合唱と通奏低音
 主なる神の守りなきところ SWV467
  ソプラノとチェンバロ、ソプラノとヴィオラ、チェロ、ソプラノとファゴットの3群によるコラール・コンチェルト
 我 山に向かいて目をあぐ SWV31
  4声の独唱陣、2つの4声合唱と通奏低音
 主に感謝せよ、主は恵み深し SWV32
  2つの4声合唱、2つの4声器楽合奏と通奏低音
 ドイツ語マグニフィカト SWV494
  2つの4声合唱 ア・カペラ

ソロ/ソロアンサンブル
 串田委子(ソプラノI)石塚瑠美子(ソプラノII)篠崎義昭(テノール)
 鈴木 仁(テノール)池田直樹(バス)

ハインリヒ・シュッツ合奏団
 ブロック・フレーテ:蘆野 豊/宮本忠昌
 オーボエ:大木 務/宮本忠昌
 ファゴット:蘆野 豊/桑原優子/山口洋一郎
 トロンボーン:和田美亀雄/金井秀雄/田中照門/舛田静夫
 ヴァイオリン:小穴晶子/棗 綾/菊池まり子
 ヴィオラ:永井哲夫
 ヴィオラ・ダ・ガンバ:山科高康
 チェロ:御園生京子/進藤くみ子
 コントラバス:片柳 茂
 チェンバロ:松本憲子

ハインリヒ・シュッツ合唱団
 ソプラノI:玉井千恵/山下みはる/阪本恭子/水田(現・万年)玲子/瀬戸真由美/
       並木(現・小川)美佐子
 ソプラノII:野村洋子/山田由紀子/石塚瑠美子/島田世津子/青野由美子/
       串田委子
 アルトI:蘆野ゆり子/松井美奈子/駒村真理子/井出道子/秋山美和子/
       小澤真理子/三橋(門倉)春子
 アルトII:清水米子/長沢克子/武藤英文/伊庭 緑/大谷久栄/佐藤道子/
       荒木和子
 テノールI:山口健三/金沢 弘/下山為久/佐藤泰平
 テノールII:小宮冨司雄/岩井勇行/秋山和正/齊藤郁夫/杉村直幸
 バスI:大森雄治/進藤正明/関口敬次/谷口 正
 バスII:石塚 正/春宮 哲/土生健二/阪本一郎

指揮 淡野弓子

 合唱団の規模は42名とかなり大きく、メンバーの名前を見ると惜昔の情も湧き上がる反面、この会から31年が経とうとしている今、玉井千恵、阪本恭子、山田由紀子、石塚瑠美子、松井美奈子、佐藤道子、大森雄治、石塚正、阪本一郎の諸兄諸姉9名が現役歌手ということに驚き、今更のように感謝と尊敬の気持ちで一杯です。残念なことに、山下みはる、秋山美和子、荒木和子さんがお亡くなりになりました。

 さてこのようにシュッツの作品演奏に熱心に取り組んでくれたシュッツ合奏団でしたが、先の9月のコンサートのあと、今後の方向についてメンバーの正直な意見を聴いてみると、やはり器楽奏者というものは、バッハを弾くことに大きな関心があるのでした。現在‘シンフォニア・ムシカ・ポエティカ’のコンサートマスターとして協力して下さっている瀬戸瑤子さんが、シュッツの器楽部分の譜面を見て「こんなに白い音符ばかり弾いてくれる人たちは他にはいないわ。」と慨嘆したほど、シュッツの音楽は当時の器楽曲の常識とはかけ離れたものでしたから、同じシュッツとはいえ、歌い手の喜びとは異なる器楽奏者の当惑のようなものもあったと思います。なにはともあれ「バッハが弾きたい」という強烈な願いとともに、物事はどんどん先へ進んで行きました。
 パレストリーナに始まり、シュッツに出会い、バッハへ導かれるという流れはある意味必然であったと思います。しかし、当時バッハについて語る何ものを持っていなかった私が、シュッツに加えてバッハの専門団体を立ち上げるということは、冒険を超えた無謀極まりないアイディアだったのです。
 しかし、私も徐々に、歌い手と器楽奏者が一緒にいられる場を作り、通常は自分のことで精一杯の演奏者が、相手のしていることを間近かに見ることの出来る練習形態を作り出し、それから共にバッハに取り組んでみようか、という気持ちに変って行きました。決断には手間がかかりましたが、10月にはメンバーのオーディションも始まり、12月には最初のコンサート開催ということになりました。
 グループ名は‘バッハ・コンソート’と決まり、発足公演は12月19日午後7時よりカトリック田園調布教会で開催されました。
INAUGURAL CONCERT Bach Consort, Tokyo

J.S.バッハの音楽

I.  カンタータ第61番 いざ来ませ 異邦人の救い主(第1作)BWV61
II.  モテット第1番「主に向かいて新しき歌をうたわん」 2重合唱8声部 BWV225
 第1合唱 バッハ・コンソート
 第2合唱 ハインリヒ・シュッツ合唱団
III. カンタータ第62番 いざ来ませ 異邦人の救い主(第2作)BWV62

ソプラノ:石塚瑠美子
ソプラノ:島崎伸子
テノール:鈴木 仁
バリトン:川村英司

通奏低音
 チェロ:御園生京子
 ファゴット:蘆野 豊
 コントラバス:片柳 茂
 チェンバロ:斎藤依子/松本憲子

合唱・オーケストラ バッハ・コンソート

指揮 淡野弓子

使用楽器
 チェンバロ 堀 栄蔵 1976年 作

バッハ・コンソート 発足時のメンバー
合唱陣
ソプラノ:青木恵子/塩谷啓子/島崎伸子/並木美佐子/野沢紀子
アルト:石塚瑠美子/市瀬寿子/伊庭緑/小禄幸代/串田委子/佐藤道子/畑 裕子/藤木えみ子/山道真理子
テノール:秋山和正/淡野武司/武藤英文/山口健三
バス:麻生嘉男/大森雄治/関口敬次/谷口 正

合奏陣
ヴァイオリン:浜渦勝子/小穴晶子/菊池まり子/高橋孝子/棗 綾
ヴィオラ:永井哲夫/松岡法子/井出佐久夫
チェロ:御園生京子/十代田光子/斉藤真紀子
コントラバス:片柳 茂
フルート:市岡正適
オーボエ:大木 務/宮本忠昌/緒方璋子
ファゴット:蘆野 豊/桑原優子/山口洋一郎
チェンバロ/オルガン:斉藤依子/松本憲子
 目出たく年が明け、1981年2月22日午後3時よりバッハ・コンソート第2回目のコンサートが開かれました。
No.2  Bach Consort, Tokyo

J.S.バッハの音楽
I.  オルガン 前奏曲とフーガ ロ短調 BWV544
II.  合唱 モテット第三番「イエス、わがよろこび」 BWV227
III. オルガン トリオ・ソナタ ト長調 BWV586
IV.  オルガンと合唱

オルガン小曲集よりオルガンコラールとコラール合唱
1. おお神の子羊、罪なくして BWV618
2. キリスト、汝、神の子羊よ BWV619
3. 我らを救いたもうキリストは BWV620
4. 人よ、汝らの罪の大いなるを悲しめ BWV622

オルガン:菊池みち子

通奏低音
 チェロ:御園生京子
 コントラバス:片柳 茂
 チェンバロ:松本憲子

合唱・オーケストラ バッハ・コンソート

指揮 淡野弓子
 バッハ・コンソートは合唱陣、合奏陣それぞれ週1度ずつの練習と、その他に月2度の合同練習をしており、この第2回目の演奏会時には鍵盤1人、ヴァイオリン1人、合唱3名が新しく加わっています。さらに記録によれば12月にモテット第1番を歌い、2月に第3番を歌っています。この頃の勢いはどこから出て来たものなのでしょうか。

 この間シュッツ合唱団は勿論従来通りの練習を続け、1981年度の<受難楽の夕べ>を3月19日(水)午後7時より東京カテドラルにおいて開いています。プログラムはデマンツィウス、ブクステフーデ、そしてシュッツの受難をテーマとした作品を集め、そこに垣間見える神秘思想に触れようというものでした。
I.  クリストフ・デマンチウス(1567-1643)
 《ヨハネ受難曲》無伴奏6声
II. ディートリヒ・ブクステフーデ(1637-1707)
 まことに彼はわれらの病患を負い カンタータ ソプラノ、バス、5声の合唱
 ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音
III. ハインリヒ・シュッツ(1585-1672)
 カンツィオネス・サクレ 1625 より 受難モテット(第4番—8番)SWV56-60
 4声合唱と通奏低音 ——聖アウグスティヌスの瞑想(第8章1-3)——
IV. ハインリヒ・シュッツ
 イエス・キリスト 十字架上の七つの言葉 SWV478

ソプラノ:石塚瑠美子
バス:宮原昭吾
アルト:武藤英文
テノール:鈴木 仁
バス:春宮 哲

ヴァイオリン:小穴晶子/小渕晶男/棗 綾/菊池まり子
ヴィオラ・ダ・ガンバ:福沢 宏/山科高康
チェロ:御園生京子
コントラバス:片柳 茂
チェンバロ:松本憲子

ハインリヒ・シュッツ合唱団・合奏団

指揮 淡野弓子

使用楽器
 ヴィオラ・ダ・ガンバ ギュンター・ヘルヴッヒ リュベック 1977
 ヴィオラ・ダ・ガンバ 佐藤一也 東京1979
 チェンバロ 堀 栄蔵 東京1976
 このコンサートでシュッツ合唱団が始めて挑戦したのは「フィグラール・パシオン」というスタイルでした。普通はソリストが受け持つ福音史家、イエスといった役柄の言葉もすべて自分たちで、しかもホモフォニックな合唱で歌わねばならない多声合唱で、デマンツィウスの《ヨハネ受難曲》はこのスタイルの音楽だったのです。
 ここではイエスはA,TI,TII,Bという中低音四声のグループ、ピラトはS,I,SII,Aという高音三声、福音史家、群衆、ユダヤ人などは原則として六声ですが、場面によって編成が変えられて行きます。何かが動く時には順次進行、事態の急変は突然の転調によって知らされ、苦悩、悲しみ、死などの表現には半音進行が使われています。
 モンテヴェルディ、シュッツ、デマンツィウスなどから学んだ音型の原則はバッハのカンタータで豊穣期を迎え、その後もメンデルスゾーン、ブラームス、そして20世紀のフーゴー・ディストラーに至るまで強力な表現の技として用いられ続けて来ました。しかしこのようなことを実際の音楽を通じて体験するのはずっと後のことです。

 受難節のあとには復活祭が待っています。バッハ・コンソートは4月19日(日)午後7時 石橋メモリアルホールにおいて発足以来早くも三度目のコンサートを迎えました。
No.3 Bach Consort, Tokyo

J.S.バッハの音楽

I.  ミサ曲 ト短調  キリエ、グローリア BWV235
II.  ブランデンブルク協奏曲 第5番 二長調 BWV1050
III. カンタータ第4番 キリストは死の縄目につながれたり BWV4

篠崎義昭(アルト) 鈴木 仁(テノール) 川村英司(バリトン)
市岡正適(フルート) 浜渦勝子(ヴァイオリン)
永峯常道(オーボエI) 緒方璋子(オーボエII)
高沢正輝(トランペット) 和田美亀雄(アルト・トロンボーン)
舛田静夫(テノール・トロンボーン) 横山 亮(バス・トロンボーン)
十代田光子(チェロ) 斉藤真紀子(チェロ) 蘆野 豊(ファゴット)
片柳 茂(コントラバス) 菊池みち子(オルガン)
松本憲子(オルガン/チャンバロ)

合唱・オーケストラ バッハ・コンソート

指揮 淡野弓子

使用楽器
 チェンバロ  堀 栄蔵 1976年作
 この時期ずっとソリストとしてご出演下さっていた川村英司先生は昨年(2010年)傘寿を迎えられ、記念コンサートを開催されました。私自身は残念乍ら伺えなかったのですが、先生の柔らかいバリトンは全く健在で、それは心に残るコンサートであったとのことです。川村先生とは不思議なご縁で今現在も日本声楽発声学会(理事長 米山文明)の中で同じプロジェクトに携わっており、日本の声楽発声が抱える問題について話し合いが続いています。
 この頃私は40代に入って2,3年という年ごろでしたが、不惑どころか悩み、疑問は増す一方でした。今は亡き名バリトン 宮原昭吾さんとも良く話しました。宮原さんは豊かな美しい声に恵まれた方で、なお且つ非常な努力家でした。ヨーロッパの名だたるコンクールの賞をいくつも獲得されていましたが、話は決まって「声」についてでした。宮原さんの師、エリーザベト・グリュンマー女史は、前の夜どんなに大きな役を歌われたあとでも翌日は朝から大学で生徒のレッスンをされ、柔らかく落ち着いた、しかしそれは小さな囁くような声を出され「昨夜舞台で歌った声はこの声ですよ。」と言われたそうです。ベルリン・オペラで聴いた声がこの小さな声?と宮原さんはどうしても信じることは出来なかった、と言っていました。そのあと宮原さんは、ドイツで飼っていた愛猫を日本に連れてきたところ、ドイツではそれは愛らしい声で鳴いていたのに、日本ではあっという間にぎゃあともの凄い声に変ってしまったという話をしてくれました。
 我々を取り巻く日本の音環境はこのエピソードがすべてを物語っています。耳で受け止めた響きが声となるのであれば、我々は一体どのような毎日を送ればよいのでしょう? バッハ・コンソート3回目のコンサート・プログラムには、杉山好先生がエネルギッシュな解説を寄稿して下さり、そこに次のような一節があります。
 「若き楽匠バッハはここでルターとがっぷり四つに組み、そしてオルガン音楽の修業を通じて体得した、コラール変奏の手法を駆使して、世が人間の罪と死に汚染されむしばまれた現在のままの世であるかぎり、その内蔵する問題の最も根底に迫って訴えかけ響き続けてやまない不朽の名作を生み出した。」(1981年4月19日 バッハ・コンソート演奏会(3)プログラム)
 私たちは少なくともシュッツやバッハの望む声を探り、彼らの音楽が真っ当に響く声を求め、そのような響きの音楽が日本で市民権を得るように、と願うのみでした。

 バッハ・コンソートの勢いは止まりません。9月5日(土)には再び石橋メモリアルホールで第4回目のコンサートが開かれました。
No.4  Bach Consort, Tokyo

J.S.バッハの音楽

I.  カンタータ第78番 イエスよ、汝わが魂を BWV78
II.  管弦楽組曲 第2番 ロ短調 BWV1067
III. カンタータ第8番 尊き御神よ、いつわれは死なん BWV8

島田世津子(ソプラノ) 石塚瑠美子(アルト)
鈴木 仁(テノール) 宮原昭吾(バリトン)
金 昌国(フルート)
市岡正適(フルート) 永峯常道(オーボエI) 緒方璋子(オーボエII)
生沼誠司(ヴィオラ) 桜井京子(チェロ) 進藤くみ子(チェロ)
蘆野 豊(ファゴット) 桑原優子(ファゴット) 片柳 茂(コントラバス)
松本憲子(チェンバロ) 湯口依子(オルガン)

合唱・オーケストラ:バッハ・コンソート

指揮:淡野弓子

使用楽器
 チェンバロ:小渕晶男 1980年作
 この会にはドイツから帰国されたばかりの金 昌国さんが組曲第2番とカンター第8番のフルートを吹いて下さったことが、大きな出来事でした。またヴィオラの名手 生沼誠司さんがオーケストラの中央で私たちを支えリードして下さったことも忘れられません。金さんも東京バッハ・アカデミー(現・アンサンブル ofトウキョウ)を立ち上げられたところで、バッハの演奏はいかにあるべきか、など演奏が終ってからも楽しい語らいが続きました。ご子息の聖樹くんは当時中学生、ついこの間までドイツの名門「ハノーヴァー少年合唱隊」のメンバーだったとのことで、シュッツでもバッハでも美しいソプラノとネイティヴのドイツ語で軽々と歌ってくれ、皆「ホォーッ」と驚いたものです。現在は日本を代表するオーボエ奏者 青山聖樹氏として活躍されています。
 発足1年で4回のコンサートを行ったバッハ・コンソートでしたが、これからの課題として重要なのは器楽奏者たちが歌われている言語をどこまでキャッチ出来るか、ということでした。

 さて秋を迎え、シュッツ合唱団は東久留米の「聖グレゴリオの家」が主催されたコンサートに出演しました。
10月18日(日)午後3時  聖グレゴリオの家

プログラム
 レオンハルト・レヒナー(1553-1606)
   ソロモンの雅歌 全曲
   生と死の格言集 全15曲
 ハインリヒ・シュッツ(1585-1672)
   カンツィオネス・サクレより「雅歌」によるモテット
   「雅歌」による二重合唱

通奏低音
 ヴィオラ・ダ・ガンバ:福沢 宏
 チェンバロ:松本憲子

合唱:ハインリヒ・シュッツ合唱団

指揮:淡野弓子
 バッハ・コンソートがカンタータの名曲やポピュラーな器楽合奏作品を次から次へと演奏して行く中、シュッツ合唱団のレパートリーはどんどん地味になって行ったように思います。先のデマンツティウスやここでのレヒナーのように、シュッツをより深く理解するためには、彼よりさらに一時代前の作曲家を知りたいと思っていたのです。
 グレゴリオの家ではよく練習をさせていただきました。今は亡きゲレオン神父さまが「シュッツ合唱団ほど良く練習するグループは見た事がないよ。感心なことだ。」と仰り、ここまでは嬉しいのですが、そのあと必ず「しかし、淡野さんがプロテスタントというのだけが、惜しいことだ。どうして?」とお訊ねになるのです。どうして? こればかりは自分でも分かりません。

 一週間後の10月25日(日)午後3時 大森めぐみ教会でドイツのオルガニスト、アルノ・シェーンステット教授を迎えバッハ・コンソートの第五回目のコンサートが催されました。シェーンステット教授とは1970年11月11日、東京カテドラルでシュッツ合唱団とのコンサート以来10年ぶりのことでした。このレポートの第1回でもご紹介しましたが、シェーンステット教授はヴェストファーレン州教会音楽監督を務められ、エーマン教授とともに同州立教会音楽院の創設に尽力、さらにオルガンの教授として沢山の生徒を教えられ、日本からの留学生、河野和雄さん、広野嗣雄さん、持田昌子さん、菊池みち子さんなどなど皆先生の教えを受けた方たちです。私も学校に入るとすぐに先生がOrgel-Vesperなどに呼んで下さり、シュッツやバッハを歌わせて下さいました。先生は戦前ライプツィヒでかのギュンター・ラミンに学び聖トーマス教会オルガニストとなられた方で、バッハの継承者としては正統派でしたが戦後言うに言われぬ苦労の末、生命からがら西へ来られた方です。筆舌に尽くし難い苦難を乗り越えられた先生は、生徒たちの世話も真の慈愛に溢れたものでした。この先生をお迎えするとあって、私たちも次のようなプログラムを準備しました。
No.5 Bach Consort, Tokyo

J.S.バッハの音楽

I.  カンタータ第38番 深き悩みの渕よりわれ汝に呼ばわる BWV38
II. オルガン・ソロ「前奏曲とフーガ ト長調」 BWV541
III. カンタータ第146番「われら多くの艱難をへて」 BWV146
  (冒頭:オルガン・コンチェルト)

オルガン:アルノ・シェーンステット
ソプラノ:島田世津子/石塚瑠美子
アルト:近藤恭子
テノール:鈴木 仁
フルート:市岡正適
オーボエ/オーボエ・ダモーレ:永峯常道/緒方璋子
オーボエ:宮本忠昌
ヴァイオリン:小渕晶男
ヴィオラ・ダ・ガンバ:福沢 宏
チェロ:進藤くみ子
ファゴット:蘆野 豊/桑原優子

合唱・オーケストラ:バッハ・コンソート

指揮:淡野弓子
 シェーンステット先生は大森めぐみ教会のオルガンを気に入って下さり、気持ちよくコンサートを終ることが出来ました。

 忙しかった1981年も最後のコンサートとなりました。12月13日(日)午後3時 ICU主催のクリスマス・コンサートです。以下のようなプログラムで演奏しました。
クリスマス音楽会——ハインリヒ・シュッツの音楽

詩編110——ダヴィデ詩編(1619)より
 言(ことば)は肉体となり
 わたしは荒れ野に呼ばわる者の声
 それほどに神はこの世を愛された
——ガイストリッヒェ・コーアムジーク1648より
 ドイツ語マグニフィカト——遺作(1671)
 イエス・キリスト生誕の物語(クリスマス・オラトリオ)

ソプラノ:石塚瑠美子(天使)
テノール:鈴木 仁(福音史家)
バス:池田直樹(ヘロデ)

合唱・合奏:ハインリヒ・シュッツ合唱団・合奏団

指揮:淡野弓子

主催 ICU宗教音楽センター
 久しぶりのオール シュッツ・プログラムでした。「シュッツを歌うと生き返る」との実感!ここにはなんの誇張もありません。言葉を音に変える、という点では現在に至るその後の多くの作曲家の中にも、シュッツほどの力でこのテーマに立ち向かった人はいないのではないでしょうか。今になってみると、外国人といえどもシュッツの書いたドイツ語の作品を、そのままドイツ語で歌うことによって、言い換えれば、ルターの訳したドイツ語の聖書の言葉をシュッツの音とともに私たちの心身に取り入れることによって、私たちの霊肉は鍛えられたといってよいと思います。この日もシュッツのモテット「言(ことば)は肉体となり」SWV385を通して「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(ヨハネ1;14)との言葉‘Das Wort ward Fleisch und wohnet unter uns’を歌った私たちにこの言葉通りのことが起こったのでした。

 目まぐるしかった1981年でしたが、この年の秋、我が家の扉の前に新しい訪問者が立っていました。その少し前に、チェンバリスト 故 鍋島元子さんの市ヶ谷のスタジオで初めて会った2人、徳永ふさ子さんと武久源造さんです。なんでも鍋島先生のご命令だったようです。
 2人は当時芸大生で、共に‘バッハ・カンタータ・クラブ’のメンバーでした。これをきっかけに、バッハに関心のある芸大生がぞろぞろと集まりいろいろな議論に発展したのを覚えています。しかしなんといっても衝撃的だったのは、武久さんが「音楽は盲人に任せて下さい」と言ったことでした。私自身はそれと同じ位の比重で「器楽奏者はもっと言葉に関心を持ち、共に歌うべし」との考えでしたので、先ずはシュッツ合唱団で共に歌うことを彼に奨めました。
 1982年、彼はシュッツ合唱団のバス・メンバーの一人となり、徐々に鍵盤奏者としても活躍するようになったのでしたが、彼を交えた練習は「難しい」のひと言でした。理由は、武久さんには聴こえる高次倍音が普通人の耳にはほとんと聴こえなかったからです。(続く)