ムシカ・ポエティカ

ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京 40年の軌跡(8)

会員 淡野弓子 

 今回は1988年からの記録となります。40年を振り返るこの原稿もやっと20年まで来たのか、というのが正直な感想です。
 1988年1月14日(火) 19:00より武蔵野市民文化会館小ホールにおいて〈守安功リコーダーリサイタル〉が開催されました。~リコーダーの領域 I ~とのサブタイトルのもと、17、8世紀を中心に14世紀のマドリガルから広瀬量平の《メディテーション》に至る興味深いプログラムで、共演者は Vdg: 中野哲也、Fld: 安井敬、Cemb:武久源造さんです。現在もアイルランド音楽、バロック音楽の研究、演奏に多忙な日々を送っておられる守安さんに、現在の心境を綴って戴きました。

 ムシカ・ポエティカの主催で、初のリコーダー・リサイタルを、開催していただいてから、早くも25年、四半世紀の月日がたちます。そのリサイタルの時に、淡野先生は、偶然、今の僕と同じ年齢でした。当時、20代の半ばだった僕は、リコーダーと並行して、日本の笛も吹いていましたが、その後、最終的にフルートで、アイルランドの伝統音楽を演奏することを選びました。
 そんな中、4年前に、チェンバロ奏者の平井み帆さんと、「ドーヴァー海峡の向こう側」という名のプロジェクトを始め、アイルランドと英国の伝統音楽、バロック音楽、新しく作られた曲を一緒に演奏することとなりました。そして気がついた時には、長年のブランクの後、もう一度リコーダーを吹き始め、アイルランド、英国だけではなく、ヨーロッパ大陸のバロック音楽も、「ドーヴァー海峡の向こう側」で、演奏するようになりました。今回、淡野先生から送られてきた、1988年1月の、初のリコーダー・リサイタルの曲目を見て、自分が25年の後に、再び吹いている曲が、いくつも、そこに含まれていることに、改めて驚かされるとともに、自分にとっての、25年間は、初のリサイタルの時に取り上げた曲を、自分自身のやり方で、ずっと、あたため、納得できる形で、身と心に納めるためのプロセスであったことに想いをいたしました。この先、自分がどんなことを考え、どんな音楽を発信していくか、今までの人生でいちばん、1日1日の重みと大切さを感じている、今日この頃です。改めてこの場を借りて、1988年の1月に、このような場を用意してくださった、ムシカ・ポエティカと、淡野先生に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。(守安 功)

 4月9日(土) 18:30 石橋メモリアルホールにおいてイースタークワイヤ、シュッツ合唱団、ムシカ・ポエティカ声楽アンサンブル、古楽器アンサンブルによって、バッハ《ミサ曲 ロ短調》が演奏されています。演奏メモとして、声楽陣をトゥッティ、コンチェルティーノ、ソロに分けること、器楽は古楽器アンサンブルとすること、ラテン語の読み方はドイツ式発音とすることが記されています。特に古楽器を使う理由として、「これらの楽器の音色を愛し、奏すること、聴くことに興味を持つ人が増え続けているという現実の姿がある」とあり、歴史的考証や奏法も大切なことではあるが、今の私たちの欲する音と表現の生み出されることを願って、との考えが述べられていました。ピリオド楽器に関心を持ち始めた時期の記録です。演奏者を列挙しておきましょう。
独唱:S: 石塚瑠美子、伊庭緑 A: 串田委子
   T: 佐々木正利 B: 故・斉藤俊夫
器楽:Vn: 小野萬里、若松夏美、橋爪美穂
     小渕晶男、斉藤和久、三塚美秋
   Va: 李善銘 Vdg: 中野哲也
   Vne: 西澤誠治 Fltr: 中村忠、朝倉未来良
   Ob: 川村正明、庄司知史
   Fg: 植野真知子、宮脇香里 Cor: 磯部保彦
   Trba: 津堅直弘、織田準一、丸山研也
   Timp: 近藤健一(現・高顕)
   Org: 曽根麻矢子 Cemb: 武久源造
指揮: 淡野弓子
 さて、この1988年はシュッツ合唱団創立20周年でもありました。これを記念し、以下3回のコンサートが企画されています。
その 一 6月10日(金) 19:00
 石橋メモリアルホール
 〈12世紀オルガヌムよりシュッツまでの500年〉

その 二 9月 9日(金) 19:00
 東京カテドラル聖マリア大聖堂
 〈現代日本の合唱音楽〉
 武久源造《初めに言ありき》(1987)
 柴田南雄《人間と死》(1985)

その三  12月2日(金) 19:00
 東京カテドラル聖マリア大聖堂
 〈ハインリヒ・シュッツの音楽〉
 《音楽による葬送》(SWV 279,280,281)(1636)
 《クリスマスの物語》(SWV 435)(1664)
 記念演奏会「その一」では、シュッツ、G.ガブリエリ、ラッソ、ダンスタブル、アルス・アンティカ(c.1250-1320)のモテートウス、ヴォルケンシュタイン、オトマイヤー、アルカデルト、イザーク、モンテヴェルディ、ペロティヌスと目の回りそうな曲の数々が歌われました。特筆すべきは「アンサンブル・オルガヌム“永遠の少年”」という武久源造をリーダーとする当時の独身青年たちのグループが発足し、実に真剣に‘オルガヌム’の演奏に取り組んだことでしょう。石井賢、井出光、木田新一、小酒井貴朗、淡野太郎、長澤均、細川裕介、水野浄、依田卓、守安功それに武久源造の11名がメンバーでした。すでに四半世紀が経過した今、独身者は2、3名となりましたが、カテドラルのあの冷たく堅い床に裸足で立って歌った彼らの力強い声をもう1度聴いてみたいものです。

 「その二」では再び柴田南雄《人間と死》に挑戦し、さらに武久源造の《初めに言ありき》を歌いました。無我夢中でシュッツを歌い続けた私たちでしたが、20年も経つとさすがに自分たちの周りにも目が向くようになりました。例えば、西洋人の見た音楽史を疑いもなく「音楽の歴史」と思い込んでいるわれわれ、「神」と「信仰」も風俗習慣として捉えているわれわれ・・などなど、西洋のキリストの音楽に真正面から取り組もうとした途端にキシキシと音を立てる得体の知れないなにか・・を正直に見据える時がやってきたのです。
 柴田南雄の《宇宙について》や《人間と死》には、この「キシキシ」の現場が生々しく描かれ、それらが想像を絶する音となって響き渡るのでした。まことにそれは新しい音楽史に触れる思いでもありました。さらに《人間と死》の中では、一瞬にして世界が崩壊するかに見える異文化のきしみ合いが聞こえるかと思うと、女声が死者ミサのゼクエンツィア「ディエス・イレ」を歌うなか、男声が D音のみで「理趣経」を唱える箇所があり、遠く離れた文化が、同時に響き合う美しさに茫然としたのを覚えています。さらにこの音楽には、悠久の時の流れと瞬間を切り取った鮮やかな時が重ねられていて、私たちが普段、時計の言うなりになっている生活の薄さといったものにも気付かされたのでした。
 武久源造の《初めに言ありき》はルター訳聖書の詩編と福音書から歌詞が選ばれ、シュッツ、ブクステフーデ、バッハ、ブラームス、ディストラーらが尊重した「ムシカ・ポエティカ」の精神と作法に則って作曲されたドイツ語のカンタータです。日本では恐らく初めての試みであり、また先に挙げた作曲家たちの後継たらんとの意欲に溢れた作品でした。この日の初演をきっかけに、武久源造は数々の優れた合唱作品をシュッツ合唱団のために書くこととなります。

 12月2日(金)、いよいよ20周年記念演奏会も最後の回となりました。私たちはこの大切な時をすべてシュッツの作品に捧げることとし、《ムジカーリッシェ・エクセクヴィエン》(SWV 279-281) 、《全地よ、主に向かって喜びの叫びを上げよ》(SWV 262)、《我が子、アプサロンよ》(SWV 269)、《クリスマスの物語》(SWV 435)の4曲を演奏することとなりました。
 中の2つのソロ作品は、この年ハインツ・レークナー指揮ベルリン放送響とともに《第9 》のソリストとして(旧)東ドイツから来日されたバスのヘルマン・ポルスター教授(Prof.Hermann Polster)が歌ってくださいました。ポルスター教授はドレスデンのクロイツ聖歌隊を経てカール・マルクス大学(現・ライプツィヒ大学)で音楽学を学ばれ、のち歌い手になられた方です。シュッツを隅から隅までご存知の音楽家と共に歌えたことは、どれほど私たちの励みになったことでしょう。淡野太郎はのちにライプツィヒでポルスター教授の教えを受け、歌唱のみならず音楽学に裏打ちされた確かな解釈に感銘を受けたとのことです。

 《クリスマスの物語》のテノールソロは故・鈴木仁さん、天使は石塚瑠美子、大石すみ子が歌い、器楽は Fld: 守安功、安井敬 Vn: 小野萬里、小淵晶男 Trmb: 織田準一、島田俊雄 Trbne: 萩谷克巳、村岡淳志 Fg: 川村正明 Vdg: 中野哲也 Vne: 西澤誠治 Org.p: 武久源造という陣容でした。

 記念演奏会のコンサート・プログラムにはシュッツ合唱団員のメッセージが各回に掲載されています。どのメンバーのコメントも非常に興味深く全部ご紹介したいほどですが、この紙上では難しいので場を改めたいと思います。

 明けて1989年1月10日(火) 石橋メモリアルホールにおいて、第二回目となる〈守安功リコーダーリサイタル〉 ———リコーダーの領域そのII が開催されました。共演は第一回と同じく安井、中野、武久の各氏、プログラムはクロフト、オトテール、カステッロ、アイク、テレマン、広瀬量平、武久源造の作品でした。
 このプログラムの冒頭で守安功は「数年来、常に己の血について、我々の背負っているものについて、そしてそれらと余りにかけ離れたヨーロッパの土や音について考えを巡らせ、“ヨーロッパという得体の知れぬ怪物とがっぷり四つに組む決意”についても語ったが、いつか宿命と能動的に接するようになった」と述べています。彼の地のフォーク・ミュージシャンや邦楽人との語らいに心を躍らせる彼の気持ちも吐露されています。さらに「上述のバロック音楽を自らの息吹きで語り掛けたい」とも。本稿の最初に掲載させて戴いた守安さんの現在と見事に照応していることに驚いています。

 前年はバッハ《ミサ曲 ロ短調》(BWV 232)公演のため、〈受難楽の夕べ〉は開かれませんでしたが、この年の受難節にはバッハ《マタイ受難曲》(BWV 244)(3月3日(金) 18:30 武蔵野文化会館大ホール)を演奏しました。周知のように、I群、II群に分かれた独唱陣、合唱陣、器楽陣を必要とするこの大曲を演奏するには、まず平常の2倍の演奏人員、練習時間と場所の確保に始まり、器楽奏者に送るパート譜も平常の倍を超え、各曲の編成がさまざまなため、演奏者のスケジュール合わせも困難を極めます。私はこの公演の前に丸二日徹夜を余儀なくされ、当日は袋に入れた各演奏者への謝礼をポンと事務所の机の上に忘れたまま会場入りしてしまったことを覚えています。
 演奏メンバーは以下の通りです。
独唱: Ev: 佐々木正利  Jesus: 宮原昭吾
   T(Aria): 鈴木仁  S(Aria): 徳永ふさ子
       大石すみ子
   A(Aria): 石塚瑠美子、羽鳥典子
器楽: Fld: 守安功、庄司知
   Fltr: 中村忠、朝倉未来良 Ob: 本間正史
   Ob d’am: 庄司知史、大山有里子
   Ob da c: 川村正明、大山有里子
   Fg: 堂阪清高
   Vn: 小野萬里、若松夏美、高田あずみ
     小淵晶男、石井紀子Va: 李善銘、高岡真樹
   Vc: 伊藤耕司 Vne: 西澤誠治
   Vdg: 中野哲也
   Org.p: 武久源造、曽根麻矢子
第I合唱:イースター・クワイヤ
第II合唱:ムシカ・ポエティカ声楽アンサンブル
指揮: 淡野弓子
 それにつけても宮原昭吾さん、鈴木仁さんがお亡くなりになられたのが残念です。いろいろな方の生命を丸ごと戴いて演奏が成り立っていることをひしひしと感じ、「安かれ!」と祈らずにはおれません。

 5月14日(日) は鎌倉泉水教会のお招きによるコンサートでした。横浜・樫の木会時代 (淡野は1958年頃から61、62年まで指導) からの友人である池田尚徳さんがこの教会の会員でいらしたのがご縁だったと思います。また、バッハ《ヨハネ受難曲》(BWV 245) の演奏前に「ヨハネによる福音書」についてお話をして戴いた岡村民子先生もこの教会で聖書講座を開いておられました。新旧約聖書全66巻を一つのものとして捉えると、聖書の一句一節がまるで生きた人間の身体のように、互いに作用を及ぼしながらダイナミックに呼応し合っている、ということを岡村先生は教えて下さいました。当時の理解は誠に幼いものでしたが、今になってみると、シュッツやバッハの新旧約聖書を縦横に駆け巡るテキストの組み合わせ方は、あの時岡村先生にお教え戴いた聖書の読み方に通じるものがあるのです。今を生きる生命体そのものといった彼らの音楽の秘密を垣間見る思いです。
 この日のプログラムはシュッツ、パレストリーナの詩編に始まり、ファーマー、ギボンスらのイギリスのマドリガル、モンテヴェルディのマドリガル、そして“永遠の少年”がペロティヌスのオルガヌムを歌い、最後はバッハの《イエス、わたしの喜び》(BWV 227)でした。この《Jesu, meine Freude》(BWV 227)という曲はその昔、池田尚徳さんが歌っておられた横浜・樫の木会で何年にも亘ってさらい続けた曲で、この日も「この曲だけ一緒に歌わせて下さい」と仰り、メンバーに加わって歌われたことを思い出します。池田さんは今年の春、天に召されました。

 さて1989年という年は私たちがシュッツの作品を全曲演奏しよう、という決心を固めた年でもありました。12年計画とし2000年には終了したいと考えていました。第一回演奏会を開く前に、シュッツの音楽のいろいろな風貌を知っていただけたらと、〈シュッツ音楽の華〉と題するコンサートを催すことにしました。実はこの年の4月16日に恩師ヴィルヘルム・エーマン先生逝去の報、図らずもこの会はエーマン先生へのメモリアルとしてお捧げすることとなったのです。当時は歌うことに夢中で深い意味を考える余裕もありませんでしたが、今思うに、エーマン先生が彼の世へ旅立たれた年に「シュッツ全作品連続演奏」が始まったとは!
 この望みを服部幸三先生にご相談すると大変喜んで下さり、次のような激励のメッセージを当日のプログラムにお寄せ下さいました。


「シュッツ音楽の華」によせて
服部幸三  

 淡野弓子さんの指揮されるハインリヒ・シュッツ合唱団が、今年から連続12年の計画でシュッツの全作品の演奏に取り組まれる、と伺って、深い感動を覚えています。世界には、いくつかのシュッツ合唱団がありますが、このような壮挙は、誰も思いついた人がなく、誰も実行した人がありません。人の営みを越えた高い導きによって、淡野さんとシュッツ合唱団の計画が成就することを願ってやみません。今回はその計画の序として、シュッツの全生涯からの代表的な作品が花束のように編まれています。イタリアのヴェネツィアに学んだ多感な青年時代の作品である「イタリア・マドリガーレ集、作品1」からスタートして、最後は“ドイツ音楽の父”と仰がれながら、文字通り「白鳥の歌」となった「私の魂は主を崇め」まで。60年の歩みと推移が一夜のうちに展開されるのです。今晩の演奏会はまた、淡野さんが教えを受けられた故エーマン教授の思い出のために捧げられています。淡野さんは、いつもエーマン先生が東京でただ一度催された演奏会が自分の生涯を変えた、と言っておられますが、私もあの夜のことを忘れることができません。音楽を聞きながら、胸に熱いものがこみ上げ、涙を覚えるとき、大変幸せなのですが、あの夜はめったにないほど幸せでした。淡野さんはエーマン先生の門を叩き、演奏家として日本におけるシュッツ合唱団の創立者になりました。一方、私はエーマン先生の師匠でもある晩年のグルリット先生のもとで音楽学を学び、その方面からシュッツに接しました。エーマン先生がグルリット先生の最初の弟子で、私が最後の弟子であったことは、不思議な縁と言わなければなりません。淡野さんがエーマン先生の逝去に胸を痛めておられることが良く分かります。けれども、人はすべて過ぎ去るべきもの。他方、音楽の言葉は、それを受け継ぐ人がいれば、先きへ先きへと燃えさかって行きます。シュッツの全作品の演奏は、エーマン先生を喜ばせるだけでなく、音楽の世界への大きな捧げ物になるでしょう。ご来聴の皆様方に私からも心からのご声援をお願い申し上げます。

[国際ハインリッヒ・シュッツ協会日本支部長・東京芸術大学音楽学部教授] 

 服部先生は、歴史における音楽の意味、演奏の役割といった難解なテーマを平易な語り口でお話下さいました。「音楽の言葉は、それを受け継ぐ人がいれば、先きへ先きへと燃えさかって行きます。」とのお言葉に、心の炎をエネルギー源として運動を続けるわれわれ演奏者はどれほど力付けられることでしょう。

 この日のプログラムと演奏者は以下の通りです。
《イタリア風マドリガーレ》(1611)より
 〈広い海〉(SWV 19)〈幸いの森よ〉(SWV 3)
《ダヴィデの詩編曲集》 (1619)より
 〈われ、山に向かいて目を上ぐ〉(SWV 31)
《カンツィオーネス・サクレ》(1625)より
 〈主よ、わが心に来たりたまえ〉(SWV 83)
《シンフォニエ・サクレ I 》(1629)より
 〈恋しい人の言葉を追って〉(SWV 263)
 〈エルサレムの娘たちよ〉(SWV 264)
《パリサイ人と取税人のディアローグ》(1630) より
 〈ふたりの人が宮に詣で〉
《復活祭のディアローグ》より
 〈女よ、なぜ泣いているのか?〉
《小宗教コンツェルト集 I 》(1636)より
 〈神よ、速やかに私を救ってください〉(SWV 282)
《同 II 》(1639)より
 〈もし神がわたしたちの味方なら〉(SWV 329)
 〈主のみ声は水の上にあり〉(SWV 331)
《シンフォニエ・サクレ III 》(1650)より
 〈サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか?〉(SWV 415)
 〈息子よ、どうしてこんなことを〉(SWV 401)
《白鳥の歌》(1671)
 〈わが魂は主を崇め(ドイツ語マニフィカト)〉(SWV 494)

演奏者: Vn: 小野萬里、田辺玲子、Vdg: 中野哲也
    Vne:西澤誠治、Fld:守安功、安井敬
    Fg: 川村正明、 Org.p:曽根麻矢子、武久源造
ハインリヒ・シュッツ合唱団
指揮: 淡野弓子
 この年の秋、10月6日(金)18:30 東京カテドラルにおいて〈シュッツ全作品連続演奏〉が始まりました。この日までに私たちが演奏したシュッツの作品はおよそ120曲、全作品の4分の1ほどでしたが、この日をきっかけに、これまでの演奏にこだわることなくすべて始めから、という決心でした。

 第1回の曲目は《ダヴィデの詩編曲集》(SWV 22-47)(1619)全26曲です。プログラム・ノートは当シュッツ協会日本支部の現支部長でいらっしゃる正木光江先生に執筆をお願いしました。 《ダビデの詩編曲集 作品2》の全曲上演によせて——— と題された正木先生の解説には、作品の成立年代、シュッツが作曲した詩編、全体の構成、音群の意味するところ、様式について、畳句を持つ詩編第136編についてなどが詳しく丁寧に記され、読み返せば今も、行間から一曲一曲が立ち昇って来るようです。
演奏者:Z: 濱田芳通 Fld: 守安功、安井敬
    Fg: 川村正明 Vn: 小淵晶男
    Vdg/Lut: 中野哲也
    Vdg: 石川かおり、市瀬礼子、西谷尚記
    Trmb: 織田準一
    Trmb: 萩谷克己、村岡惇志 田中徹
    Vne:西澤誠治 Cemb: 曽根麻矢子
    Org.p: 武久源造
ハインリヒ・シュッツ合唱団
 なにが待ち受けているか分からない道をただ先へ、というわれわれの無鉄砲な冒険の旅はこうして始まったのでした。地図はシュッツの譜面のみ、それも新全集、旧全集を合わせてやっと全曲か? という危なっかしい状態でした。また、どこでどのような譜面が出てくるか、これもこの時点では全く分かりませんでした。私はただ、この全曲演奏が終わるまで、大きな戦争に日本が巻き込まれないことを祈るばかりでしたが、そこに驚くべきニュースが飛び込んで来ました。
 ベルリンの壁が崩壊したのです! 11月9日深夜から10日未明にかけてのことでした。人々に呼びかけるマズーア教授の声! あの日の興奮を忘れることはないでしょう。

 12月7日(木) 18:30 上野学園石橋メモリアルホールにおいて、バッハの《クリスマス・オラトリオ》(BWV 248)全6部をイースター・クワイヤと古楽器アンサブルによって演奏しました。
独唱: S: 嶺貞子、徳永ふさ子 A: 荒道子
   T: 佐々木正利 B: ヘルマン・ポルスター
器楽: Trmb: 織田準一、福田善亮、曽我部清典
   Timp: 近藤健一(現・高顕)
   Fltr: 中村忠、朝倉未来良
   Ob/Ob d’am: 本間正史、川村正明
   Ob da.c: 浅間信慶、奥山茂
   Cor: 山岸博、野瀬徹
   Vn: 小野萬里、渡邊慶子、高田あずみ
     田辺玲子 Va: 高岡真樹 Fg: 堂阪清高
   Vdg: 中野哲也  Vne: 西澤誠治
   Cemb: 曽根麻矢子 Org.p: 武久源造
指揮:淡野弓子
 ご存知のように、この曲の最初のコラール「どのようにお迎えしたらよいのでしょう」の旋律は《マタイ受難曲》に幾度となく現れる「血潮したたる主の御頭」です。クリスマスの日にイエスが十字架上でなぶり殺しにされたことを思い出させるこの手法に触れて、伏線につぐ伏線、布石また布石のバッハ音楽に少しずつ目覚めるにつれ、彼の言葉の用い方や創作技法に興味が募り、徐々に親近感が湧いてきたのはこの頃でした。ルーマニアのラジオが「キリストに背くものがクリスマスに死んだ!」とチャウセスクの処刑を報じ、激動の1989年が暮れて行きました。

 1990年1月14日(日) 14:30 武蔵野市民文化会館小ホールにおいて、〈オルガン友の会定期演奏会〉(オルガン友の会主催)に出演、〈ルネサンス★珠玉の合唱小品集★とバッハのオルガン曲〉とのタイトルのもと、シュッツ合唱団と‘永遠の少年’ の合唱、オルガン: 武久源造が演奏しました。そして迎えたのは〈受難楽の夕べ〉です。

 3月16日(金)のことでした。「お御堂にこれほどの人が集まったのは初めてだ」と当時カテドラルの事務局にいらした山本さんが慨嘆されたのを覚えているのですが、実にこの日は大変でした。普段録音をお願いしているコジマ録音の小島幸雄さんは無論のこと、NHKのTVカメラや各新聞社の人々が続々と詰めかけ、床には何本ものコードがうねり、ざわざわと落ち着きません。そこへ到着されたのがアルヴォ・ペルト(Arvo Pärt 1935- )氏、取材陣が駆け寄り大騒ぎとなりました。

 ペルト作曲《ヨハネ受難曲》(1982)日本初演の日でした。当時ポリドールにいらした鈴木徹太郎さんからこの《ヨハネ受難曲》のCDを戴き、演奏したいと思い立って1年目のことでした。
 当日の演奏者は次の通りです。
独唱: イエス(B): 宮原昭吾
   ピラト(T): 佐々木正利
福音史家(SATB)と合唱(SATB):
   ハインリヒ・シュッツ合唱団
器楽: Vn: 小野萬里 Ob: 川村正明
   Fg: 堂阪清高 Vc: 伊藤耕司
指揮: 淡野弓子
 テキストとなったヨハネによる福音書18;1- 19;30(ラテン語)は171もの部分に分断され、この一片一片に各声部が寄って来たり去ったりするため常に音色が変化します。その度に倍音構成が変わるので、響きは薄くなったり厚くなったりし、あちこちで鐘が鳴っているように聞こえるのです。周知の「ティンティナブリ(鈴鳴り)様式」ですが、このような音は常に現在を語っているように聴こえ、物語の推移というよりは、そこに起こった出来事の原因、結果そしてその影響を瞬時に伝えてしまうような神秘感に溢れています。
 この日はペルトに先だち、菅野浩和 (1923-2011)のオルガン曲《三つの悲歌》(1985)が武久源造によって演奏されました。グレゴリオ聖歌とヴィクトリアのモテットの旋律を音素材とした本格的な受難楽でした。
 あれだけ微細でモノクロ写真のような音楽にも拘らず、コンサートの反響は凄まじいもので、ペルトの響きが当時いかにコンテンポラリーなものであったかが窺われます。
 ペルト氏は物静かで修業中といった雰囲気の方でした。「私は取るに足らぬもの」といった感じがお話の端々に滲み出て、会話は代わる代わる唱えるお祈りのようでした。別れ際に下さった小さな長方形のマリアのペンダントは飾り棚に置いて大切にしています。

 4月19日(木) 19:00 武蔵野文化会館大ホールにおいて、モンテヴェルディの《Vespro 聖母マリアの夕べの祈り》を演奏しました。なんとこのころ、シュッツ合唱団のメンバーは35名、イースター・クワイヤは37名という大世帯でした。
 武久源造はこの日のプログラム・ノートに「《Vespro》はヨーロッパ音楽に君臨する最高峰であり、大空にパッと輝く太陽のような音楽・・・」「定旋律という幹から枝や葉、花のように各声部が広がる。それは自然という大宇宙と人間の心という小宇宙にうごめく様々なエネルギーを包み込む神の秩序の模倣である。」と記していますが、私はもともと音楽に内在する真善美のうち、特に「真」に興味があり、音楽に潜む「神の意図」といったものを知りたいと欲していました。シュッツやバッハの音楽からは、隠された形で象徴的に知らされる宇宙の秘密が、モンテヴェルディの音楽からは常に大胆に鮮やかに、そして万華鏡のように映し出されることにも驚いたのでした。演奏者は以下の通りです。若い生命とその天賦の才を惜しまれて2004年5月21日にこの世を去ったフォルテ・ピアノ奏者小島芳子さんが、初めて私たちと共に演奏して下さった公演でもありました。
声楽: T: 故・鈴木仁
   アンサンブル・オルガヌム‘永遠の少年’
   ムシカ・ポエティカ声楽アンサンブル
   イースター・クワイヤ
   ハインリヒ・シュッツ合唱団
古楽器アンサンブル:
   Trba: 津堅直弘、市川和彦
   Trbne: 田中徹、村岡淳志、萩谷克巳
   Fld: 守安 功、安井敬
   Z: 濱田芳道(現・芳通)、及川茂、吉澤賢太郎
   Vdg(treble): 平尾\雅子、福沢宏
   Lut: 中野哲也
   Bc:Vdg(Bass): 中野哲也、福沢宏
   Vne: 西澤誠治 Org.p: 故・小島芳子
 9月6日(木) 19:00 東京文化会館小ホールにおいて Heinrich Schütz und seine Kunst(II)
《カンツィオーネス・サクレCantiones sacre》(SWV 53-93) (1625)のコンサートを開催しています。〈全作品連続演奏〉もやっと2回目、私たちは「難解」とされる《カンツィオーネス・サクレ》に取り組みました。全40曲のラテン語によるモテットを2度に分けて歌うこととし、この日は第1番から第20番までを演奏しました。
 この作品はシュッツのカトリック教徒の友人、エゲンベルク侯ハンス・ウルリヒに捧げられたもので、ある種の宗教的恍惚感に彩られたまことに神秘的な音楽です。プロテスタントのシュッツがなぜ? という観点からは説明することが難しく、今は亡き野村良雄先生に「《カンツィオーネス・サクレ》、あるいはシュッツの宗教作品全般、あるいは日頃のご思索の断片でも」と解説をお願いしました。
「・・・シュッツはドイツ的・プロテスタント的音楽観の地盤に育ち、厳格にルター的方向をとりながら、神秘的有頂天のあらゆる光熱を体験し、かつ新しい音楽の手段で、作曲したのである。彼は時代の伝統的正統派的潮流を個人的神秘的なものと交流させて、音楽的形成においてひとつの均衡をもたらした・・・」とは野村先生のお言葉です。先生は更に「対立や差別を超える何かである。」とも語っておられますが、カトリック、プロテスタントを問わず、「超える何か」に心を打たれる人は、歌い手にも聴き手にも多く存在しています。さらに言うなら、シュッツを好む人たちは時代や国籍を超えたところで共感し合っているのも事実です。

 このコンサートの3週間後9月27日(木)にはなんと(!)〈アグネス・ギーベルを迎えて———ドイツ歌曲の夕べ〉が開かれています。この会をきっかけに、私たちはこの先およそ12年に亘ってギーベル先生から「声の秘密」についての教えを受けることとなりました。次回はいよいよ世紀のバッハ歌手、アグネス・ギーベルの登場です。(続)