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ムシカWeb通信


■ 2008/02/02 ミネアポリスから  淡野桃子


■ 2008/02/04 淡野弓子より

 皆様、無事今朝の目覚めを迎えました。

 70歳を迎える日にソロで歌をお聴き戴く、などということは夢にも考えたことがありませんでしたので、今はただ自分でも驚き、このようなお恵みを天から、そして皆様から戴きました幸せを感謝しております。以下は今夕のプログラム・ノートです。一足早く皆様にお目に掛けます。お寒い中恐縮でございますが雪も止んだようですので、コンサート(市ヶ谷ルーテルセンター・午後7時開演)にお運び戴けるようでしたら、ほんとうに嬉しいことです。                 

                                 

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 小学校に入った年だったと思いますが、母が「病気の女の子が書いた日記よ」といって、『薔薇は生きてる』を私に呉れたのです。山川弥千枝という肺結核で16歳の時に生命を亡くした少女の、7歳から亡くなるまでの短歌、童話、日記に、ところどころ彼女自身の描いた挿絵が入っていて、表紙はオールドローズでした。

 私は山川弥千枝から、そして『薔薇は生きてる』から強い影響を受けたと思います。私の2人の子供の教育のことで真っ先に考えたのは、キリストの教えに触れさせねば、ということでした。2人とも教会の日曜学校に通い、その後洗礼を受けクリスチャンとなったのですが、これは私の信仰からというよりは、弥千枝が7歳の時に書いたという次の文章を忘れることが出来なかったからです。               

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■ 2008/02/08 おん礼 淡野弓子

 2月4日(月)リサイタルが無事終了致しました。まことに有り難うございました。もっと早く皆様にご報告と御礼を申し上げたかったのですが、生まれて初めてといって良い程のお花と贈り物に囲まれ、翌日は呆然自失、あたまの中は Wong さんと武久さんの音楽が鳴り止まず、遂に夕方身体に異変が・・・。先週の水曜日に武久さんを襲ったノロ・ウイルスが今度は私に。激しい腹痛と××。立っている事も座っている事も出来ず、ただ横になる。これが水、木と続き、断食の御蔭で4kgが何処かへ。

 前日2/3(日)の朝、東京は雪。幼稚園の入園試験の日以来、大事なことがある日には必ず大雨に見舞われている私、思わず「あれ、わたし、今夜歌うの?」と思い、ご丁寧に「やれやれ、どなたも見えないわね。この天気では」とがっかりしたのでした。が、その日は日曜日、礼拝でオルガンを弾く日でした。滑らないように気を付けながら教会へ。私の頭がリサイタルで満杯だったのを、サァーッと覚ましてくれたような見事な雪でした。

 翌2/4(月)空は見事に晴れ上がり、70歳にしてやっと「雨女」を返上、御蔭様でルーテル市ヶ谷センター一杯のお客様とともに、誕生日記念のリサイタルを無事歌い終えた次第です。前半は雰囲気造りに四曲のグリーグの歌曲を選び、ブロックごとに武久さんと Wong さんの歌を数曲ずつ歌いました。この構成に落ち着く迄には随分時間がかかりましたが、おかげで、今の私がどうやら歌えるドイツ歌曲はこれとこれ、ということが分かり、あれこれ考えたことは無駄ではなかったようです。また 当然とはいえ、Wong さんと武久さんの両方の音楽に fit する作曲家とその作品を探すのも大変でした。重すぎても、軽過ぎてもまずく、真面目過ぎても、おちゃらけでも駄目、しんみりして情景が広がり、聴き手にそれほどの負担をかけないドイツ歌曲というものはあるようでなかなか無いものです。

 後半の「岡本かの子」ですが、小説を歌う、というアイディアはどうして思い付いたのか自分でもよく分かりませんが、思い起こせば藝大生のころ、水野修孝(主にチェロ、時に唸る)、塩見允枝子(ピアノを弾きながら声を挙げる)、小杉武久(ヴァイオリンを弾きながら時に「でかい袋に入って動いてみよう」などと言う)さん達と水野さんの家で、そこらへんにあるものは鍋のふたまで叩いたりしながら、ヴォーカリーズに始まって中原中也の詩などを次から次へと即興で歌ったのが原体験だと思います。このグループはモダンバレエを踊るダンサーの動きを見ながら即興で音を付けたりもしていました。私にとっては当時最も心身の解放されるひとときでしたが、西洋音楽のなんたるかも知らないのに自分勝手にやっていてもと思ったのと、磯谷威先生に合唱を教えるように命令されたのが時期的に重なったのだと思いますが、それ以来超前衛から一挙にパレストリーナの世界に飛び、気がついたら今になっていたのです。水野、塩見、小杉さんは、現在それぞれにこの即興の世界を広げ、堂々たる作曲家として活躍して居られます。

 その後瞬く間に時が過ぎ、再び即興にふと心が揺らいだのは今から15、6年前、武久さんから紹介して戴いた Wong WingTsanさんに山川弥千枝の詩に曲を付けて戴いたときでした。その時に Wongさんの<Moon Talk>というCDを聴き、非常に心の休まる独特の優しさに溢れた演奏に惹かれ、このようなピアノの即興演奏と幻想譚のようなものを一緒に聴くのも面白いのではと思ったのが小説を歌う、というアイディアの始まりです。そこで岡本かの子の<小町の芍薬>('94年に初演)が誕生しました。

 今回の<扉の彼方へ>は登場人物一人一人に異なった音楽のスタイルが与えられており、語り手の「私」はほとんど即興の旋律、夫の「及川」には12音で歌われます。「私」前の恋人の「珪次」はロックとブルースでした。鍵盤もピアノ、パイプオルガン、リードオルガン、ToyPianoなどと豪華で、特にリードオルガンの効果がなかなかのもので驚きました。最後に歌った Wong さんの<とびら>(オルガン伴奏・間奏はピアノとオルガン)は、たった五つの音で出来ている旋律とは思えない大きな広がりと深みのある音楽で、まるで賛美歌のようであった、と皆様に喜んで戴けました。また嬉しいことに、企画とプログラム構成を好意的に受け取って下さった方が、沢山のメールやお手紙を下さいました。今日は長くなりますので、また日を改めて皆様の感想をご紹介させて戴きます。


■ 2008/02/22 70歳18日

 あっと言う間に私は70歳と18日、こんな台詞をこれから何度つぶやくのかしらん。一度でいいから 「きのうから今日、一年も経ったような気がする」 などと書いてみたいものですねえ。

 体調も体重も一週間ほどでもとに戻りまして、2/11(月)シュッツ練習、2/12(火)アクアリウス練習、2/13(水)シュッツ練習、2/14(木)メンデルスゾーン・コーア練習、2/15(金)レッスン、2/18(月)シュッツ練習、2/20(水)シュッツ練習、2/21(木)メンデルスゾーン・コーア練習、とよく働きました。実は2/8(金)の日に、3/12(水)にわれわれが初演するはずの武久源造さんの新作は「長くても15分」ということが判明、まあ大変、新作に40分を見込んでプログラムを組んでいた私、あと15〜20分の時間になにを演奏するか、大車輪で考えた訳であります。作曲家はシュッツかディストラーでしょう。シュッツの<カンツィオーネス・サクレ1625>には第3曲ー第8曲、および第21曲ー第23曲というそれぞれ連作の受難モテットがあります。どちらも名作ですが、5曲にしろ3曲にしろチクルスというのはひと塊ということで、プログラムに強烈なインパクトを与えます。今回のインパクトはディストラーの<コラール・パシオン>と武久さんの新作<神に勝つ>で十分なのでシュッツという選択は勿体ないがあきらめる。さてディストラー。この人の生涯はたった34年でしたが、シュッツに傾倒していた彼の合唱曲は、礼拝用の小さな賛美歌に到るまで、それは「美しくも透明な」音楽です。まずはこれもシュッツの<宗教合唱曲集1648>を手本として書いたモテット集、その名も同じ<宗教合唱曲集Op.12>を繙いてみます。9曲から成る曲集の最後の2曲が「受難モテット」で1曲は「まことに彼はわれらの病患を負い」という旧約の預言者イザヤの言葉につけられ、最後に「一匹の小羊が」のコラールが附いています。もう1曲のテキストは「それは確かなまこと」というパウロの言葉で、これにも「キリストに栄光あれ」のコラールが最後に歌われます。このコラールはシュッツが彼の<マタイ受難曲>の終結合唱として用いたものでもあります。この2曲はディストラーが未完の<ヨハネ受難曲>の冒頭と終曲に用いようと用意したもので、<ヨハネ>が完成に至らなかったため、<宗教合唱曲集Op.12>に収められた作品です。なんとおあつらえ向きではありませんか。私は今更のようにディストラーに対する愛の気持、哀惜の念も新たに、この2曲を3/12のプログラムの最初と最後に歌うこととしました。ここでやっとチラシ制作がスタートし、先週は校正のやりとりが続きました。校正といえば、3/12にリリースされる我らがCD<ハインリヒ・シュッツの音楽 Vol.2>のブックレット40ページの最終校正も同時に重なりまして、結構忙しい日々を送ったのでした。

 というわけで、やっと先回お約束致しました我が誕生日とリサイタルにお寄せ戴いた勿体なくも貴重なるお言葉を謹んでご紹介させて戴きます。

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