ムシカ・ポエティカ

解説



Johann Sebastian Bach(1685-1750)
Messe in H-MOLL
BWV232


J.S.バッハ ロ短調ミサ曲

淡野弓子

はじめに

 今夕は皆様とともにJ.S.バッハ畢生の名作、また遺言ともいわれる<ロ短調ミサ曲>を体験することとなりました。この作品の一貫性は、その歌詞である「ミサ通常文」の全文が作曲されていることからも窺い知ることが出来ますが、各章の成立年代がバラバラであることから、このミサ曲はまとまったものではない、あちこちから集められ、引用、改作され、最後に集大成されたものであるといわれています。とはいえ、それは単なる寄せ集めではありません。
 「ミサ通常文」は、キリエ(求憐唱)、グローリア(栄光唱)、クレド(信経)、サンクトゥス(三聖唱)、アーニュス・デイ(神羊唱)の順序で典礼のなかに組み込まれた祈りの言葉ですが、「通常」と称される通り、特別の祝祭などで言葉の変わる部分とは異なり、常に変わらずに唱えられる言葉です。バッハはキリエ:3曲、グローリア:9曲、クレド:9曲、サンクトゥス、オザンナ、ベネディクトゥス、オザンナ:4曲(「オザンナ」は繰り返し)、アーニュス・デイ:2曲と通常文を27に分け、その一つひとつを実に入念に作曲し、旧作を改変し、編纂しました。すなわち、これから私たちは、「ミサ通常文」に記された言葉のすべてを27の音楽とともに歌い、奏で、聴くということになります。
 各27曲のスタイルはまことに多種多様、ルネサンス期の古様式からバロック期のコンチェルト風のものまで変化に富んだスタイルが網羅され、4声、5声の合唱そして4声の合唱陣二つによる二重合唱に加え独唱曲、二重唱曲も随所に配置されています。
 この曲の自筆のスコアは四分冊でした。バッハは、1733年7月27日、ポーランドの王になるためルター派からカトリックに改宗したドレスデンのザクセン選定侯アウグスト強王(1733年2月1日逝去)の皇太子であるフリードリヒ・アウグスト二世に、宮廷作曲家の称号を請願します。この時に請願書と共に提出されたのが、このいわゆる<ロ短調ミサ曲>の『キリエ』と『グローリア』のパート譜でした。このキリエとグローリアの総譜が第一分冊です。また『サンクトゥス』は1724年12月25日に初稿が演奏されており、この初稿の改訂版総譜が第三分冊にあたります。第二分冊は『クレド』で、作曲の開始時期は不明ですが、1748年8月から1749年10月の間に編纂されました。同じくこの時期に編纂された第四分冊は『オザンナ』以下終りまでです。そして第二分冊と第四分冊が最晩年の作であり、またこの時期に第三分冊『サンクトゥス』も改訂されたことが、バッハ研究者小林義武教授によって明らかにされました。各分冊のタイトル・ページ、筆跡、紙の透かし模様から第二、三、四分冊は1748年8月から1749年10月の間に筆写されたものである、ということが分かったのです。この研究から、これまでバッハの白鳥の歌とされてきた<フーガの技法>より後であること、そしてこの後バッハの死(1750年7月28日)に至るまでバッハの自筆譜が無いこと、さらに全27曲のスタイルの多様性、多くの引用、パロディから、死期を悟ったバッハはこの<ロ短調ミサ曲>に自分自身の学んだこと、知り得たこと、体験したこと、言葉に従って音楽を書いてきたこと、その他もろもろを遺言のように織り込んだのでは、という見方が前面に出て来るのです。
 バッハの「ミサ曲」は四曲(BWV233-236)ありますが、いずれもキリエとグローリアのみ、いわゆるミサ・ブレヴィスという形です。バッハが「ミサ通常文」のすべてを音楽化したのは、この<ロ短調ミサ曲>が初めにして最後なのです。これから各曲のただずまい、特徴、バッハが凝った部分、こだわったことなどを気の付く限り挙げてみたいと思います。

訳と解説

Kyrie
1. [1]Kyrie
[Fltr1,2,Ob d'am1,2,Fg,Vn1,2,Va,S1,S2,A,T,B, Bc]

Kyrie eleison
Kyrie eleison
Kyrie eleison
主よ、憐れみたまえ
主よ、憐れみたまえ
主よ、憐れみたまえ

 「キリエ・エレイソン」とはギリシャ語で「主よ、憐れみたまえ」という意味ですが、この言葉は新約聖書マタイ20;30~34の二人の盲人の言葉「『主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください』と叫んだ。」との記述が元になっているといわれています。冒頭、五声(S1,S2,A,T,B)の合唱がホモフォニックに「Kyrie eleison」と歌い、この祈りがありとあらゆる人の訴えであることを印象づけます。こののち器楽が「キリエ」のテーマを奏で、やがて合唱に受け継がれます。「Kyrie eleison」のひとことは126小節間な長きにわたり、異様なまでの「しつこさ」が漂っています。マタイの述べた先の状況をルカ18;39では「先に行く人々が叱りつけ黙らせようとしたが、ますます、『ダビデの子よ、わたしを憐れんでください』と叫び続けた。」とあります。この「ますます・・叫び続けた」との記述にバッハ自身の解釈と祈りが込められているようにも思えます。また126という数にはなにか意味があるのでしょうか。
 バッハの音楽に数象徴が隠されていることは良く知られています。まずBACHを数に直すとB=2,A=1,C=3,H=8、これを足すと14です。バッハはこの14という数を音楽のなかでよく署名代わりに使いました。この最初の曲の編成は器楽9声+声楽5声=14声で書かれています。126小節=3×3×14、神の象徴数3の3倍に自分の名前の数を掛けた数字となっているのです。


2. [2]Christe eleison
[S1,S2,Vn1+2,Bc]

Christe eleison
Christe eleison
Christe eleison
キリストよ、憐れみたまえ
キリストよ、憐れみたまえ
キリストよ、憐れみたまえ

 重苦しかった一曲目とは打って変わり通奏低音とヴァイオリン1、2のユニゾンで「嬉しくて思わず跳ねた」ような音楽が奏でられます。二人のソプラノは同時に声を発したりカノン風に後になり先になりしながら安定した喜びを歌い、盲人の切なる願い「主よ、目が見えるようになりたいのです」(ルカ18;41)がすでに成就していることを思わせます。器楽2声、声楽2声という編成が「二人の盲人」と見えるようになった「四つのまなこ」の輝きを伝えます。


3. [3]Kyrie
[Fltr1,2+Obd'am1,2,Fg,Vn1,2,Va,S1+S2,A,T,B, Bc]

Kyrie eleison
Kyrie eleison
Kyrie eleison
主よ、憐れみたまえ
主よ、憐れみたまえ
主よ、憐れみたまえ

 古様式(パレストリーナに代表されるポリフォニー)で書かれ、器楽は4声部にそれぞれ重なっています。バッハは、内容が古えのものであったり、時代の影響を受けない普遍的な価値を持ったものを表現する時に、18世紀という自分の時代から200年も前の16世紀の様式をよく用いています。古様式に対する尊敬の気持ちと伝承の担い手としての責任といったものが感じられます。小節数は59、第2曲と足すと144(12×12)、第一曲の126を加えると270(3×3×3×10)となります。12は使徒、教会を、10は神の律法をあらわします。



Gloria
 グローリア(栄光唱)はクリスマスの夜の出来事を伝えるルカ2;14「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」の言葉から始まる讃美です。バッハはグローリアを九つの部分に分け、それぞれの言葉と内容にふさわしい音楽を書きました。


4. [4]Gloria
[Trba1,2,3,Timp,Fltr1,2,Obd'am1,2,Fg,Vn1,2,Va,S1,S2,A,T,B, Bc]

Gloria in excelsis Deo.
天には栄光 神にあれ

 3本のトランペットにティンパニーの加わった華やかなコンチェルト風の音楽。「天」を象徴する3拍子、18声部、100小節。跳躍音程が頻用され、天を舞う天使、天の大軍の軽ろやかな動きを伝えます。


5. [5]Et in terra pax
[Trba1,2,3,Timp,Fltr1,2,Obd'am1,2,Fg,Vn1,2,Va,S1,S2,A,T,B, Bc]

Et in terra pax hominibus bonae voluntatis.
地には平和 御心に適う人にあれ

 4拍子に変わります。4はこの世、人を象徴します。地の続くところすべてに平和を、との願いが順次進行の旋律によく示されています。pax=平和、が長く、短く随所に散りばめられ各器楽はもとよりトランペット、ティンパニーまでもがそれに加わります。


6. [6]Laudamus te [Vn-Solo, Vn1,2,Va,S2-Solo,Bc]

Laudamus te,
Benedicimus te,
Adoramus te,
Glorificamus te.
われら主を称えまつる
われら主を言祝ぎまつる
われら主を礼拝しまつる
われら主を讃美しまつる

 ここで神を称える言葉が四行続きます。ソプラノ2のソロに装飾的なオブリガートのヴァイオリン・ソロ、それに弦楽の加わった音楽。華麗で超絶技巧の要求されるこのアリアはバッハの時代の「当世風」を伝えます。


7. [7]Gratias agimus tibi
[Trba1,2,3,Timp,Fltr1,2+Ob1,Ob2,Fg,Vn1,2,Va,S1,S2,A,T,B, Bc]

Gratias agimus tibi
propter magnam gloriam tuam.
われら感謝しまつる
そは主の栄光大いなればなり。

「あなたの大いなる栄光のゆえに」との言葉にふわさわしい壮大な作品です。テキストの一行目がテーマ、二行目が対旋律の一大フーガで基本的には古様式ですが、「gloria」につけられた8分音符のコロラテューラはバッハの時代の趣味でしょう。器楽は声楽をなぞって進みますが、最終場面ではトランペットとティンパニーが独立した旋律となり一層の輝きを加えます。


8.[8]Domine Deus
[Fltr-Solo, Vn1,2,Va,S1,T,Bc]

Domine Deus, Rex coelestis,
Deus Pater omnipotens,
主なる神 天の王
全能の御父なる神

Domine Fili unigenite,
Jesu Christe altissime,
神の独り子
イエス・キリスト、至高なるもの

Domine Deus Agnus Dei,
Filius Patris.
主なる神 神の小羊
父の御子。

 テキストはここからイエス・キリストについて述べ始めます。バッハの切り取った六行は最初の二行が「父」なるキリストを、次の二行が「子」なるキリストを、最後の二行で「小羊」なるキリストを語ります。バッハはソプラノとテノールの二重唱でこの言葉を歌わせていますが、歌詞の付け方に工夫が見られます。すなわち、先行するテノールがまず一行目を歌いますと二拍遅れでカノン風に追いかけるソプラノは二行目の歌詞を歌うのです。
音楽は双子の音型で進むのですが、歌われている歌詞は一行目と二行目が同時に聴こえます。次のフレーズではソプラノとテノールの歌詞がひっくり返ります。この方法によって「父=子」という最大の難問の一つが音楽によって苦もなく同時に表現されるのです。最後の二行の歌詞「神の小羊」は同時に歌われます。ト長調からホ短調に変わり、父であり子であったキリストは「神の小羊」という役割のなかで一つとなります。ホ短調になってから急に#(シャープ)が増え、この小羊の受難(#=十字架の象徴)を暗示します。ソロ・フルートは始めから終りまで導き、励まし、見守るといった聖霊の役割を果たすがごとくオブリガートを奏で、大活躍します。


9. [9]Qui tollis peccata mundi
[Fltr1,2,Vn1,2,Va,S1,S2,A,T,B, Vc,Bc]

Qui tollis peccata mundi,
miserere nobis,
世の罪を取り除くお方
われらを憐れみたまえ

Qui tollis peccata mundi,
suscipe deprecationem nostram
世の罪を除き給う主よ
われらの祈りを聞き入れたまえ

 「神の小羊」であるキリストの、「この世の罪を取り除く」という箇所に光が当てられます。なんと重い言葉でしょう。この重さに耐えて、耐えてという感じで通奏低音の四分音符が奏されます。フルートは2本となり、こちらも溢れる涙を払い乍ら天翔ける天使のように悲しみの極みといったメロディを交互に吹き交わします。テキストは四行で曲の前半に二行、後半に二行が歌われます。前半は打ちひしがれ、頭を垂れた人の姿、後半はその苦しみからやっと顔を上げるといった趣きです。全編を覆っているのはやはり#=シャープです。満身創痍のキリストを浮かび上がらせます。


10. [10]Qui sedes ad dextran Patris
[Ob d'am-Solo,Fg,Vn1,2,Va,A-Solo,Bc]

Qui sedes ad dextaram Ptris,
miserere nobis.
神の右に座し給うお方
わたしたちを憐れんで下さい

 キリストは「神の右に座し給うお方」さらに「あなたのみが聖、主、至高」と続く讃歌は二曲のアリアとなりました。この第10曲は優美な音色のオーボエ・ダモーレのオブリガートに弦楽、そしてアルトによって歌われます。「sedes=座し給う」の言葉が非常に強調され、長いフレーズが用意されています。


11.[11]Quoniam tu solus sanctus
[Corno d.ca, Fg1,2, B-Solo,Bc]

Quoniam tu solus Sanctus,
tu solus Dominus,
tu solus Altissimus,
Jesu Christe.
すなわち、御身のみが聖
御身のみが主
御身のみが至高なる方
イエス・キリストよ。

 至高の王でありながらこの地上に下られたイエスを現すために、低音楽器とバス歌手が用いられ、その低さと天の高さを繋ぐようにホルンが活躍します。<ロ短調ミサ曲>のなかでただ一度登場するホルンがオクターヴ跳躍によって「至高」を表現、その後コロラテゥーラの愛情に満ちた音型が肌理細かく奏でられ、牧者たるイエスを表象します。2本のファゴットの音色は馬槽のイエスまたは驢馬に乗って来られたイエスなど、イエスの鄙びた日常を暖かく見守るといった雰囲気を醸し出しています。


12.[12]Cum Sancto Spiritu
[Trba1,2,3,Timp,Fltr1,2,Ob1,2,Fg,Vn1,2,Va,S1,S2,A,T,B, Bc]

Cum Sancto Spiritu
in Gloria Dei Patris. Amen.
聖霊とともに
主なる御父の栄光のうちに。アーメン。

 11番が終わった途端、いきなり「Cum Sancto Spiritu=聖霊とともに」の言葉が飛び込んで来ます。テキストの伝える輝かしさは、金管、木管、弦楽そして声による協奏風のフーガとなって、果てしなく湧き上がる喜びが次から次へと繰り広げれて行きます。<グローリア>の終曲にまことにふさわしいこの頌歌は<グローリア>冒頭の音楽と対になっています。さらに良く見れば<グローリア>全体が第8曲<Domine Deus>(SとTの二重唱)を中心とするシンメトリー構造になっていることも分かります。


Symbolum Nicenum
ニカイア信条
「Credo=我信ず」が始まります。『クレド』はミサ通常文のなかでも最も長く、深くまた劇的な内容を持っています。バッハはテキストを九つの部分に分け第5曲「Crucifixus=十字架につけられ」を中心とするシンメトリー配列としています。また古様式から協奏フーガまでさまざまな様式が展開します。


1.[13]Credo in unum Deum
[Vn1,2,S1,S2,A,T, B, Bc]

Credo in unum Deum.
我信ず、唯一の主を。

 この最初の強烈な宣言をバッハは「唯一の」の言葉通り「Credo in unum Deum」のみを用いて第1曲を書きました。「キリエ」に勝るとも劣らないエキセントリックな音楽です。グレゴリウス聖歌の旋律を元とし、ミクソリディア(第五音から始まる旋法で、現代人にとってはト長調のファ#がナチュラルになったように聞こえ、人々を興奮に導く作用がある)という相当に刺激的な旋法で書かれています。5声にヴァイオリン2声、それに無窮動の通奏低音による8声部のポリフォニーで歌われたこの言葉は第2曲へも受け継がれます。


2.[14]Patrem omnipotentem
[Trba1,2,3,Timp,Ob1,2,Fg,Vn1,2,Va,S1+S2,A,T,B, Bc]

Credo in unum Deum.
Patrem omnipotentem, factorem coeli et terrae,
visibilium omnium et invisibilium.
我信ず、唯一の主を。
全能の父、天と地の創造主、
見えるものすべてのものと見えざるすべてのものとの創造主を信ず。

 トランペットとオーボエ、弦楽、4声の合唱による協奏フーガで、様式は一気に当世風となります。S,A,Tは「Credo in unum Deum」をホモフォニックに歌い第1曲の「我」は「すべて」へと拡大されます。しかしバスは待ちかねたように「Patrem omnipotentem」と第二行から歌い出すのです。この言葉はT→A→Sの順に受け継がれ遂にはトランペットまでもがこのテーマに参入してクライマクスを迎えると今度はソプラノが「Patrem omnipotentem」と歌い始め、最初とは逆にA→T→Bとテーマが折り返されて来ます。各パートが「visibilium omnium et invisibilium」に到達してこの壮麗なフーガが終ります。


3.[15]Et in unum Dominum
[Ob d'am1,2,Fg,Vn1,2,Va,S1,A,Bc]

Et in unum Dominum Jesum Christum, Filium Dei unigenitum et ex Patre natum ante omnia secula.
また唯一の主、イエス・キリスト、神のひとり子を信ず。
Et ex Patre natum ante omnia secula.
すべての世の前に父より生まれたり。
Deum de Deo, lumen de lumine, Deum verum de Deo vero,
神よりの神、光よりの光、真の神より真の神
Genitum, non factum consubstantialem Patri, per quem omnia facta sunt.
創られずに生まれ父と同質であり、すべてのものこれによりて創造せられたり。
Qui propter nos homines et propter nostram salutem descendit de coelis.
この方は我ら人間のため、また我らを救わんがために天より降りたり。

 優しい音色のオーボエ・ダモーレの二重奏と弦楽による器楽にソプラノとアルトが後になり先になって歩みを進めます。「すべての世の前に」との言葉を象徴するかのように、常にどちらかのパートが先行していた形は「Deum verum de Deo vero=真の神より真の神」に至って同時に言葉が発せられます。これは古くから伝わる「ノエマ=NOEMA(名前)」という手法で、ここぞという言葉は誤解を生まぬようホモフォニックに扱われるのです。


4.[16]Et incarnatus est
[Vn1,2,S1,S2,A,T,B, Bc]

Et incarnatus est de Spiritu sancto ex Maria virgine et homo factus est.
聖霊によりて受肉、人体を処女マリアより受け人となりたまえり。

 想像を絶した出来事が語られます。49(7×7)小節の曲です。マリアの胎内を思わせる通奏低音の4分音符のロ音が静かにその役割の準備をするかのように鳴っています。聖霊を象徴するかのようなヴァオイリンは多くの痛み(#と半音や減5度進行)を伴ない8分音符の屈折した音型で、天からマリアの胎内へ向かって下降します。5声の合唱が先ずはアルトから意志的な下降分散和音で「Et incarnatus est=受肉された」と歌い出します。「ex Maria virgine =処女マリアより」の言葉では俯いていたマリアがおずおずと顔を上げるかのように、音型はやや上向きとなります。ロ短調で始まった音楽は20小節で嬰へ短調(#が増す)となります。通奏低音が嬰へ音を鳴らすなか再び「Et incarnatus est」がテノールから歌い出されます。同じ経過を辿って39小節目で二回目が終り41小節3拍目から「 et homo factus est=人となられた」の歌詞が始まります。42、43、44小節で通奏低音とバスは胎内の床が盛り上がるような上昇音型に変わり45小節目、バスとテノールの歌うホ音「ho------mo」をきっかけに通奏低音はヴァイオリンの音型を奪い取るかのごとく8分音符の動きに変わり、ユニゾンであったヴァイオリンは突如2声に引き裂かれます。文字通り驚天動地の逆転のなかで、長く引き伸ばされたT,Bによる「ho-----mo=人」、Sによる「fa--------cta sunt=なられた」が当然の如くに堂々と歌われ49小節が終わります。外からは窺い知れぬ出来事を見て来たように描写するバッハ、絵画的音楽の最も首尾一貫した代表者」(シュヴァイツァー<バッハ>中・白水社185頁)との説に大きく頷きたくなる一曲です。


5.[17]Crucifixus [Fltr1,2,Ob1,2,Fg,Vn1,2,Va,S2,A,T,B, Bc]

Crucifixus etiam pro nobis sub Pontio Pilato, passus et sepultus est.
われらのためにポンテオ・ピラトのもとで十字架につけられ、苦しみを受け葬られたまえり。

 『クレド』の中核をなす曲です。フルートとヴァイオリンは十字架に架けられたイエスに容赦なく釘を打ち、永遠に続くかのようなパッサカリアを奏でる通奏低音は血の滴りを思わせます。4小節で一巡するパッサカリアが12回続きフルートとヴァイオリンが沈黙、通奏低音は13回目のテーマを弾き始め合唱は「et sepultus est=葬られたまえり」と歌います。最後3小節の3拍目からホ短調はト長調に向かい、最終和音は安定したト長調となります。奇妙な安らぎと予感・・・・。


6.[18]Et resurrexit
[Trba1,2,3,Timp,Fltr1,2,Ob1,2,Fg,Vn1,2,Va,S1,S2,A,T,B, Bc]

Et resurrexit tertia die secundum scripturas;
されど甦りたまえり。聖書に書かれし通り三日ののちに。
Et ascendit in coelum, sedet ad dexteram Dei Patris,
して天に上りて御父の右に坐したもうなり。
Et iterum venturus est cum gloria
judicare vivos et mortuos,
cujus regni non erit finis.
しかして光栄を帯びて再び来たりたもうなり。
そは行ける人と死せる人を審判せんためなり。
その王国は終りなかるべし。

 「Et resurrexit =甦りたまえり」信じ難い奇跡、これほどの喜び、「Et resurrexit =甦りたまえり」は演奏陣すべてが同時に音を発します。もっとも当世風のコンチェルトスタイルの音楽によってバッハは復活を「今、ここで」捉えています。


7.[19]Et in Spiritum sanctum Dominum [Ob d'am1,2,B,Bc]

Et in Spiritum sanctum Dominum et vivificantem Dominum, qui ex Patre Filioque procedit;
また聖霊を信ず。聖霊は主にして生命の元、父よりいで、
qui cum Patre et Filio simul adoratur, et conglorificatur;
父と子とともに礼拝され共に尊まれたまうなり。
qui locutus est per Prophetas.
そは預言者の口を通して語りたまうなり。
Et unam sanctam catholicam e apostolicam ecclesiam.
また、一、聖、公、かつ使徒伝来なる教会を信ず。

 聖霊と教会に対する信仰を歌ったこのバスのアリアは、器楽3声部(オーボエ・ダモーレ2本に通奏低音)、イ長調(三つの#)、3度の平行で動くオーボエ・ダモーレ、144(12×12、使徒、教会を象徴)という全体の小節数など「神」の数「3」でまとめられています。寄せては返す波のような音楽は、聖霊の自由な動き、働き、またそれに対する感謝の応答といった『クレド』のなかでも喜ばしい未来を感じさせる部分がゆったりと繰り広げられています。


8.[20]Confiteor
[S1,S2,A,T,B, Bc]
Confiteor unum baptisma in remissionem
peccatorum.
我は一なる洗礼を信ず。そは罪の赦しを得るものなり。
Et expecto resurrectionem mortuorum.
しかして死者の復活を待ちまつる。

 クレドと同様、この曲もグレゴリウス聖歌の旋律をテーマとしています。水(洗礼を表す)の動きを思わせる通奏低音と5声の合唱ポリフォニーの絡み合いは、このような種類の音楽のなかでは飛び切り凝った造りです。「Confiteor unum baptisma=我は一なる洗礼を信ず」との第1テーマと第2テーマ「in remissionem peccatorum=そは罪の赦しを得るものなり」が明瞭に提示されたのち、この二つのテーマが2声ずつ同時に歌われ、二重フーガとなります。73小節からはバスに、74小節からアルトに「Confiteor 」の定旋律が2分音符1拍で現れます。この定旋律同士は5度のカノンで進み言葉が一巡すると92小節目からテノールの全音符1拍の27小節に亘る強烈な定旋律が出現、この牽引力によって全体のテンポは2倍に伸びアダージオとなります。123小節目から「Et expecto resurrectionem mortuorum=しかして死者の復活を待ちまつる」の言葉が5声同時に歌われます。続いて全音符で長く伸ばされた「mortuorum=死者」をソプラノが歌うなか、バスとテノールには死者がむっくりと起き上がるような上昇音型を歌い、「復活」への期待感が漂います。このアダージオは次の第9曲の始まりと重なり音楽は一挙に第9曲へ。ヴィヴァーチェそしてアレグロとなります。


9.[21]Et expecto
[Trba1,2,3,Timp,Fltr1,2,Ob1,2,Fg,Vn1,2,Va,S1,S2,A,T,B, Bc]

Et expecto resurrectionem mortuorum.
しかして死者の復活を待ちまつる。
Et vitam venturi seculi, Amen.
および来世の生命を。アーメン。

 ヴィヴァーチェそしてアレグロ、総動員の協奏フーガです。怒濤のような歓喜、確信、「死者の復活」「来世の生命」なる言葉は「今、ここで」羽ばたくバッハの音楽によって現実味を増して行きます。


Sanctus


[22]Sanctus
[Trba1,2,3,Timp,Ob1,2,3,Fg,Vn1,2,Va,S1,S2,A1,2,T,B, Bc]

Sanctus,Sanctus,Sanctus
Dominus Deus Sabaoth.
Pleni sunt coeli et terra gloria ejus.
聖なる、聖なる、聖なる、
万軍の主。
天と地は主の栄光にみち満てり。

 まずミサ通常文の『サンクトゥス』のテキストは、『アーニュス・デイ』の手前まで、ひと繋がりのものです。従ってバッハの曲では『サンクトゥス』『オザンナ』『ベネディクトゥス』『オザンナ』『アーニュス・デイ』『ドナ ノービス パーチェム』の6曲がありますが、通常文に従うなら『サンクトゥス』に4曲、『アーニュス・デイ』に2曲が用意されていることになります。『サンクトゥス』のテキストはイザヤ書6;3「彼らは互いに呼び交し、唱えた。『聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。』・・・・」から取られたそうですが、この記述の少し前イザヤ6;1には「・・・わたしは高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。」とあります。バッハは聖書のこのような説明をヒントに曲の構成や調性、リズムなどを決めることが多いのですが、この『サンクトゥス』では「六つの翼」がキイワードのようです。すなわち合唱がこの曲だけ6声となるのです。
また壮麗な曲のただずまいは「衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた」との記述そのままのように思います。この部分は48小節で終り続く20小節は8分の3拍子、「Pleni sunt coeli et terra gloria ejus=天と地は主の栄光にみち満てり」です。各声部がソリスティックに現れ、華やかなソロとトゥッティの競演が続きます。


Osanna, Benedictus, Osanna,


1.[23]Osanna in excelsis
[Trba1,2,3,Timp,Fltr1,2,Ob1,2,Fg,Vn1,2,Va,S1,A1,T1, B1,S2,A2,T2,B2, Bc]

Osanna in excelsis.
いと高きところに讃美あれ。

『オザンナ』はマタイ21;9「『ダビデの子にホザナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホザナ。』」から取られています。その前の記述は21;6「弟子たちは行ってイエスが命じられた通りにし、ろばと小ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。」となっています。引用が長くなりましたが、絵画的音楽家バッハは『オザンナ』『ベネディクトゥス』『オザンナ』『アーニュス・デイ』をこの聖書の記述に従って音にしていったのではないかと思わせるほど、この一連の音楽は今、わたくしたちの眼前に展開される芝居のようにリアルです。
 聖書の記述通り、イエスの前、イエスのうしろに人が分かれて歓声を上げています。道の両側かもしれません。バッハは合唱を二つに分け二重合唱としました。最初の8声のユニゾンが単純な人々の集合体を感じさせます。ほこりの舞い上がる中、ろばに乗られたイエスが通って行かれます。


2.[24]Benedictus
[Fltr-Solo, T-Solo,Bc]
Benedictus qui venit in nomine Domini.
祝せられたまえ、主の名によりて来たれる者。

 この光景のさなか、イエスへの思いやみ難くひらりと躍り出た一人の男、そして二人の笛吹き・・・、このような想像が湧き上がるほどに、『オザンナ』に挟まれた『ベネディクトゥス』は白昼夢のような、はかない美しさを湛えています。どこまでも繊細なフルートは10度も上へ向かって幾度となく飛翔を試みます。45小節目に突然現われる嬰ホ音のトリルがイエスの受難を暗示します。「主の名によりて来たれる者」とは計り知れない栄光と言語を絶した悲哀に包まれたお方でした。この曲でも3声、3拍子、フルートに頻出する三連符など「3」は重要な役目を果たしています。


3.[25]Osanna in excelsis
[Trba1,2,3,Timp,Fltr1,2,Ob1,2,Fg,Vn1,2,Va,S1,A1,T1, B1,S2,A2,T2,B2, Bc]

Osanna in excelsis.
いと高きところに讃美あれ。

 はっと我にかえったような『オザンナ』のリピートです。


Agnus Dei et Dona nobis pacem


4.[26]Agnus Dei
[Vn1+2,A-Solo,Bc]

Agnus Dei qui tollis peccata mundi,
miserere nobis.
神の小羊、世の罪を除き給うおん者よ。
われらを憐れみたまえ。

Agnus Dei qui tollis peccata mundi,
miserere nobis.
神の小羊、世の罪を除き給うおん者よ。
われらを憐れみたまえ。

Agnus Dei qui tollis peccata mundi,
(dona nobis pacem.)
神の小羊、世の罪を除き給うおん者よ。
われらに平和を与えたまえ。

 『アーニュス・デイ』を聖書に尋ねれば、この部分はヨハネ1;29「・・・ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。『見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。』・・・」とあります。典礼文は六行、からなる「神の小羊」への祈りの詩となっています。二行が二回繰り返され、最後六行目の言葉がそれまでの「miserere nobis=われらを憐れみたまえ」から「dona nobis pacem=われらに平和を与えたまえ」に変わります。バッハは『アーニュス・デイ』の一、二節をアルトのソロに、最終行の「dona nobis pacem」を古様式の合唱にしました。
 ヴァイオリン1、2のユニゾン、アルト・ソロ、通奏低音による『アーニュス・デイ』は「qui tollis peccata mundi=世の罪を除く方」の音型を先取りした点描的なヴァイオリンのユニゾンと通奏低音とで始まります。アルトが「Agnus Dei=神の小羊」と歌い出します。遠くからこちらへ近付いて来られるイエス。なにか弱々しげな通奏低音のリズムはゴロゴロした道、覚束ない歩調のろばと重なります。後悔しながらも前へ進もうと努力する者の足取りのようでもあります。ヴァイオリンの音型は歌の旋律を模倣しています。拭っても消えない罪の意識の中でうなだれた頭がやっとの思いで天を仰ぐ、といったフィグール。イエスはそれでも確実にこちらへ向かって来られます。いや、よろよろと歩く私たち、ひたすらにイエスの到着を待つ私たちにイエスはすでにぴったりと寄り添っておられました。最後の ト音のなかに私たちとイエスが吸い込まれ一つとなります。


5.[27] Dona nobis pacem
[Trba1,2,3,Timp,Fltr1,2,+Ob1,Ob2,Fg,Vn1,2,Va,S1+S2,A1+A2,T1+T2,B1+B2, Bc]

Dona nobis pacem.
我らに平和を与え給え。

 いよいよ最後の曲となりました。テキストはミサ通常文の最後の一行です。音楽は『グローリア』の第7曲「グラーツィアス」と同じです。とはいえ「グラーツィアス」の歌詞は二行、一行目が主旋律、二行目が対旋律です。この「ドーナ・ノービス・パーチェム」は一行のみ、バッハはこの二行目にどんな言葉を入れたのでしょうか。なんと彼は「パーチェム・ドーナ・ノービス」と pacem(平和)を先行させ、あっさりと乗り切ったのです。


おわりに
 <ロ短調ミサ曲>の演奏は今回四度目となります。常に試行錯誤ですので、未だ安定したスタイルには程遠いのですが、ざっと振り返っておきたいと思います。

一)1988年4月9日(土)午後6時30分開演 上野学園 石橋メモリアルホール
古楽器アンサンブル (a'=415)
Vn小野萬里/若松夏美/橋爪美穂/小渕晶男/斎藤和久/三塚美秋 Va李善銘 Vdg中野哲也 Vlo西澤誠司 Ft中村忠/朝倉未来良 Ob川村正明/庄司知史/植野真知子 Fg植野真知子/宮脇香里 Cor磯部保彦 Tp津堅直弘/織田準一/丸山研也 Tim近藤健一 Cem曽根麻矢子 Org武久源造二)1992年

1月24日 国分寺市立いずみホール
[国分寺市・国分寺教育委員会主催]
古楽器アンサンブル(a'=415)
Vn小野萬里/渡邊慶子/高岡真樹/竹嶋祐子/戸田薫 Va森田芳子 Vc田崎瑞博 Vlo蓮池仁 Ft朝倉未来良/菊池香苗 Ob本間正史/庄司知史/川村正明 Fg堂阪清高/川村正明 Tp津堅直弘/栃本浩規/三澤慶 Tim松倉利之 Cem武久源造

三)1998年10月25日 長泉 ベルフォーレ
[沼津合唱団主催]
古楽器アンサンブル(a'=415)
Vn瀬戸瑶子/渡邊慶子/竹嶋祐子/小田瑠奈 Va森田芳子/諸岡涼子 Vc諸岡範澄/西澤央子 Vlo西澤誠司 Ft朝倉未来良/菊池香苗 Ob川村正明/三宮正満/江崎浩司 Fg堂阪清高/江崎浩司 Cor塚田聡 Tp島田俊雄/長田吉充/山上宗規 Tim松倉利之 Cem渡邊順生 Org菅哲也

 そして今回初めてモダン楽器をベースとし、ピッチは a'=442、古楽器(ピリオド楽器)も混在したオーケストラを試みます。金管にティンパニー、バロック・ヴァイオリン2挺、バロック・チェロ1挺、それにポジティーフ・オルガンとチェンバロが時代のもの、あとはモダン楽器です。この編成は確たる意図があってというものではなく、ここ数年上荻の本郷教会で行っている<教会暦によるバッハ・カンタータシリーズ>の実践から自然に導き出されたものです。本郷教会のオルガンのピッチは動かせませんのでa'=442、従ってオーボエ、フルートも442ですとモダン楽器ということになります。(近頃モダンピッチのバロック・オーボエが出現、何度かモダン楽器とともに共演しました)。弦はヴァイオリン製作家でヴィオラ奏者の谷口勤さんの作られたバロック・ヴァイオリンが2挺活躍しています。チェロも1挺はバロック・チェロです。あと今日の演奏には出てきませんが、ツィンク(木管トランペット)、ポザウネ(バロック・トロンボーン)、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオローネ、ブロック・フレーテなどが控えています。
 声楽陣はソロ、ソロ・アンサンブル、小アンサンブル、合唱それぞれの音色を組み合わせながら演奏します。各々の特徴と長所が発揮されると同時に相乗効果を期待しての試みです。
 バッハがライプツィヒのトーマス教会、ニコライ教会などの礼拝のために毎週作曲し演奏していたカンタータを暦通りに演奏してみて分かったことは、バッハがその時周りにいた奏者を想定して曲を書いていること、それでも奏者が見つからずに困っていたこと、あわてて代りの楽器に変更し、パート譜を移調したりしていることなどでした。また新しい楽器が出現すると彼はそれに飛びつきます。これらの状況は現在も全く同じです。少々格好が悪くても「今、ここで」出来ることを実践することによって、バッハの音楽を肌身で感じる機会が増え、親しみに繋がり、喜びが増すのでは・・・。
 もう一つ分かったことは、バッハが聖書を好み、精読し、その日の聖書の朗読箇所をまるで牧師が説教で語るように音楽にしている、ということです。今回の<ロ短調ミサ曲>も、カンタータ作曲の時のように、暦や聖句に縛られなかったとはいえ、ミサ通常文に含まれる聖書箇所を良く観察し、全体を一つの物語のように修辞学的に解釈しながら曲にしています。さらにこの曲にはバッハ自身の「自伝」も織り込まれており、彼が「古い」といわれるものに払った敬意や、「古い」ものの持つパワーを踏切台として跳躍し、前衛の最先端の表現に至った経緯などが刻明に記されています。ここでバッハ自身がすでに作った作品の引用やパロディにも触れておきたいのですが、長くなりますので今回は割愛致します。
 最後になりましたが、毎回このような「試み」に協力して下さいます演奏家の皆様、日頃より私共の演奏に足を運んで下さいます聴き手の皆様に万感の思いを込めて心から御礼申し上げます。

 2006年9月15日 (たんの ゆみこ)


使用楽譜:ベーレンライター
     新バッハ全集 F.スメンド校訂(1955)
参照楽譜:C.F.ペータース
     Ch.ヴォルフ校訂(1994以後)