ムシカ・ポエティカ

解説



バッハのカンタータの伝えるもの
第112番<主はわたしの真実の牧者>
淡野弓子

 今夕のカンタータ112番では、ヨハネ10;12-16の「わたしは良い羊飼いである」との御言葉から、詩編第23編<神はわが牧者>との関連が引き出され、この詩編を韻文化した讃美歌がテキストとして用いられています。バッハの採用したカンタータのテキストにもそれなりの歴史やエピソードがあるのですが、バッハはそのテキストに自分でもかなり手を入れ修正したということです。この112番のように讃美歌を通作するという方法はテキストの改変の自由が制約される代わりに、音楽の形式を考えて行く上では自由な発想を展開させ易かったのではないでしょうか。またコラール・カンタータというジャンルを極めて行く上でも、コラール全編の作曲は面白い仕事だったと思われます。
 この讃美歌の一番から五番はつぎのような経過を辿ります。
 一、 主はわが牧者、わたしに足りないものは無い。
 二、 主は清い水際にわたしを誘い、また正しい道に導かれる。
 三、 たとえ死の谷の陰を歩むとも恐れは無い。
 四、 主は敵の面前に食事の席を設けてくださる。
 五、 慈しみと憐れみは常にわたしに注がれる。
 普通、讃美歌といえば、最初から最後まで同じ旋律を繰り返して歌います。シューベルトなどの作った通作歌曲と呼ばれる歌も一つの節が何度も繰り返されています。このカンタータのテキストも讃美歌ですので、7行からなる詩節が一番から五番まであります。そして当然のことながらその形は各詩節同じです。バッハは同じ形の詩から 第一番 コラール合唱、第二番 アリア、第三番 アリオーゾ/レシタティーヴォ、第四番 アリア(二重唱)、第五番 コラール のように異なった形の音楽を生み出しました。

 第一曲[第一節] コラール合唱
 このカンタータのために用いられたコラール旋律 Allein Gott in der Höh' sei Ehr=いと高き神にのみ栄光あれ の冒頭の旋律がまずホルン(in G→今回はコルノ・ダ・カッチャ1)によって奏され、オーボエ・ダモ−レ1、2、弦楽がそれを飾り、通奏低音は再び冒頭の旋律で加わります。合唱はソプラノが定旋律、あとの三声がそれを模倣しながら進みます。歌詞が一行終わると器楽、という流れが7回(7行詩)繰り返されます。美味なる草の繁茂する牧場、欠けるものの全くない安心を歌う合唱部分は毎回5小節、果てしなく続くかに見える牧草地も実は神の厳然たる律の中にあることを示すかのようです。5行目の言葉「彼は絶えること無くわたしを牧して下さる=Er weidet mich ohn Unterlaß」の「絶えること無く」という表現は、最初から最後までの73小節間ほんの一瞬の休みもなく奏し続けるコルノ・ダ・カッチャ1のパートに任されています。

 第二曲[第二節] アリア 
 オーボエ・ダモーレ(愛のオーボエ)のオブリガートと共に、アルトがアリアを歌います。オーボエ・ダモーレは清い水の流れを現わすかのように流麗な旋律線を奏でます。第一曲ではすんなりと流れた7行が、ここではアルトによってどのように歌われて行くのでしょうか。
 ホ短調で始まる第1行目は二度繰り返されています。第2行目は「わたしを活気付ける=Das mich erquicken tue」ですが、「das mich erquicken, erquicken tue=わたしを活気、活気付ける」のように「erquicken」を強調し、しかもこの形で畳み掛けるように三回も繰り返されるのです。3行目は「主の聖なる霊=Das ist sein fronheiliger Geist」ですが、この言葉は二度、続く第4行目の「わたしを希望にあふれた気持ちにさせる御霊=Der macht michwohlgemute」も二度歌われて、この2行が一組としてワンフレーズとなっています。この部分はロ短調からト長調へ。9小節にわたるオーボエ・ダモーレと通奏低音のみの間奏を経て歌詞は第5行目に移ります。
 第5行「主はわたしを正しい道に導かれる=Er führet mich auf rechter Straß」と第6行「途切れることのない掟の道に=Seiner Geboten ohn' Ablaß」も一組として扱われ、Straß, Ablaß という脚韻が印象深く歌われます。この箇所は三度繰り返され、そのたびにGeboten=掟 という言葉が装飾的な表情と共に段々長くなって行き、最後の ohn' Ablaß=途切れることのない、たゆみなく、の言葉が2度歌われて即座に最終行に入ります。第7行「主の御名にふさわしく=Von wegen seines Namens willen」が二度繰り返されて後奏となります。ここでは二度目の Namen=御名 がコロラテューラで歌われます。 後奏はほぼ前奏と同じですが、最後の四小節でホ短調(前奏はロ短調)にすべく転調に工夫がされています。このように第一節とは歌詞の扱い方がまるで異なり、同じ詩の型とは思えない音楽が生み出されたのです。

 第三曲[第三節] レシタティーヴォ(とアリオーゾ)
 今まで麗らかだった歌詞に「たとえ死の谷を彷徨うとも=Und ob ich wandert' im finstern Tal」との暗い言葉が現れます。バッハはここでバスのレシタティーヴォ(とアリオーゾ)を登場させます。コラール歌詞とレシティーヴォという組み合わせは興味をそそられます。最初は通奏低音が2小節にわたって人が恐れなくスタスタと歩く姿を描写します。バスもためらい無く同じ音型で「たとえ死の谷を彷徨うとも=Und ob ich wandert' im finstern Tal, 恐れは無い=Fürcht' ich kein Ungelücke」と2行を一組として三度繰り返します。通奏低音は常に力強く歌い手を支えA「独り」ではないことを示します。三度目が終わったところでアリオーゾは終わり暗転、弦楽が加ってレシタティーヴォに移ります。
 レシタティーヴォに弦楽が付く形で良く知られているのは、かの<マタイ受難曲>のキリストの言葉に光背のように響く弦ですが、ここでも危険な場所に主の守りのあることを暗示しています(因みにバッハが<マタイ受難曲>を作曲したのは1727年でした)。歌詞は「迫害、悩み、悲しみ=In verfolgung, Leiden, Trübsal」にはじまる第3行目に移り第7行までを一気呵成に語ります。第7行目の「あなたの御言葉にわが身を委ねます=Auf dein Wort ich mich lasse」では auf dein Wort=あなたの御言葉、が三度繰り返されその度に音高が上昇、得も言われぬ魂の高揚感とともに第四節に移ります。

 第四曲[第四節] アリア(二重唱)
 突如始まる舞曲風(Bourrée)の弦楽合奏からは例えようもない喜び、歓呼が聴こえてきます。主の食卓に招かれた人の喜びはこの世の食卓音楽のように人の心を浮き浮きとさせます。歌詞はどうなっているのでしょうか。1行目、2行目が一組となり、ソプラノとテノールによって二度ずつ歌われます。3行、4行も一組でここでも両声部によって2度繰り返されます。5行目「あなたの聖霊とともに、喜びの香油を=Mit deinem Geist, der Freuden Öl」ではこの行のみをソプラノが四回、テノールが三回繰り返します。この部分では Freuden=喜び が三連符で歌われ、足が地につかないような開放感を表わしています。6行目と7行目はひと繋がりで各声部二度ずつ歌います。ここでの Freuden は三連符ではなく8分音符でこの地上での魂の確かな喜びを噛み締めるように歌われます。全曲を通して、2=人間、地上、3=神、天国といった象徴数にバッハの思いが隠されているように思います。

 第五曲[第五節]コラール
 いよいよ終曲のコラールを迎えます。主の慈愛、恵みが生涯続くであろうことを確信し、この地上ではキリストの教会に、死してのちは主キリストの許に留まろう、との言葉です。本来のコラールの姿で歌詞はそのまま素朴に堂々と歌われます。

 このコラールの元となった詩編23はシュッツの名曲が遺されています。せっかくですので、このカンタータの前に演奏させて戴きます。シュッツが最初の留学の折、ヴェネツィアで学んだ複合唱の音楽です。三群の合唱が掛け合って、この喜びを歌います。
[2007・4・21 たんの・ゆみこ]